古葉竹識は、2021年11月12日、85歳で亡くなりました。
訃報が公表されたのは同月16日です。広島球団を通じて長男が発表し、葬儀・告別式は近親者のみで執り行われたと報じられました。
日刊スポーツなどの報道では、広島の初優勝を実現した監督として、また大洋や東京国際大学でも指導者として活躍した人物として、その生涯が振り返られています。
古葉竹識は現在も東京国際大学の監督なのか?
インターネットでは、古葉の経歴として「東京国際大学野球部監督」という肩書きが紹介されることがあります。
しかし、これは過去の経歴です。
古葉は2008年から2015年まで同大学の監督を務め、2016年から名誉監督となっていました。
2021年11月に亡くなっているため、2026年現在、監督として活動しているわけではありません。
古葉竹識の死去で改めて注目された功績
古葉の逝去後、広島の関係者やスポーツメディアは、その指導者としての功績を改めて取り上げました。
特に注目されたのは、次の3点です。
- 1975年に広島へ球団初のリーグ優勝をもたらしたこと。
- 11年間の監督在任中にリーグ優勝4回、日本一3回を達成したこと。
- プロ野球を離れた後も大学野球の指導に携わり、次世代の育成に貢献したこと。
古葉の評価は、優勝回数だけでは説明できません。広島に勝つためのチームづくりを根付かせたこと、そしてその経験を大学野球にも伝えたことに、指導者としての大きな価値があります。
【古葉竹識を正しく理解する】よくある誤解と評価のポイント
古葉について調べる際には、いくつか混同しやすい情報があります。
1975年の優勝は日本一ではなくリーグ初優勝
1975年の広島が達成したのは、球団史上初のセ・リーグ優勝です。
日本シリーズを初制覇したのは1979年です。
この2つは別の出来事であり、混同しないことが大切です。
監督通算873勝と広島での成績は別
873勝は広島と大洋での監督通算勝利数です。
広島だけの監督成績と混同してはいけません。
古葉の広島での監督成績は、1,430試合、720勝585敗125分け。大洋では3年間指揮を執りました。
南海では選手とコーチの両方を経験
古葉は南海ホークスで選手としてプレーした後、同球団でコーチも務めています。
南海時代をすべて選手生活として紹介する情報には注意が必要です。
「耐えて勝つ」は消極的な野球ではない
古葉の信条は、単に守って相手のミスを待つことではありません。
若手選手の育成、積極的な走塁、守備の徹底など、勝つための準備を積み重ねる姿勢を表しています。
この点は、当時の選手による証言からも理解できます。
【古葉竹識】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:古葉竹識はいつ亡くなりましたか?
2021年11月12日です。85歳でした。訃報は同月16日に広島球団を通じて公表されました。
Q2:古葉竹識は広島カープを何回優勝させましたか?
セ・リーグ優勝4回、日本シリーズ制覇3回です。リーグ優勝は1975年、1979年、1980年、1984年、日本一は1979年、1980年、1984年です。
Q3:古葉竹識の監督通算勝利数はいくつですか?
監督通算873勝です。873勝791敗137分け、通算1,801試合という記録が残っています。
Q4:古葉竹識は南海ホークスでもプレーしていましたか?
はい。1970年に南海へ移籍し、1971年まで選手として在籍しました。その後、南海のコーチも務めています。
Q5:古葉竹識は野球殿堂入りしていますか?
はい。1999年に野球殿堂入りを果たしました。競技者表彰による殿堂入りです。
Q6:古葉竹識は東京国際大学でも監督を務めていましたか?
はい。2008年から2015年まで野球部監督を務め、2011年には東京新大学野球春季リーグで初優勝に導きました。2016年からは名誉監督でした。
【プロの結論】古葉竹識は勝つための仕組みを築いた名将だった
古葉竹識の野球人生を振り返ると、その最大の功績は、広島東洋カープに球団初優勝をもたらしたことだけではありません。
本当に評価すべきなのは、選手の能力を見極め、個人の成長をチーム全体の強さにつなげる仕組みを築いたことです。
1975年の初優勝から、1979年、1980年、1984年の日本一まで。広島は一時的な勢いではなく、長期にわたって勝てるチームへと成長しました。
その背景には、山本浩二や衣笠祥雄といった主力選手の存在だけでなく、高橋慶彦や山崎隆造らの育成、機動力を重視した戦術、守備の基本を徹底する姿勢がありました。
また、大洋ホエールズでの指導や東京国際大学での大学野球指導は、監督としての経験を異なる環境に生かそうとした歩みでもあります。
古葉を評価する際には、次の3つの視点が重要です。
1. 実績で評価する: リーグ優勝4回、日本一3回、監督通算873勝という数字。
2. 采配で評価する: 「耐えて勝つ」に象徴される選手育成、機動力、守備を重視したチームづくり。
3. 後世への影響で評価する: 広島の黄金時代を築き、大学野球でも指導者として成果を残したこと。
2026年現在、古葉竹識はすでにこの世を去っています。しかし、1975年の球団初優勝や赤ヘル野球、そして「耐えて勝つ」という指導哲学は、今も広島カープの歴史を語るうえで欠かせない存在です。
古葉竹識は、勝利を積み重ねただけの監督ではありません。選手を育て、チームを変え、球団の歴史そのものを動かした名将でした。
主な参考資料:野球殿堂博物館「古葉竹識」顕彰資料、日本野球機構(NPB)個人年度別成績、日刊スポーツの訃報・追悼記事、広島アスリートマガジンの関係者証言、日本私立大学協会「教育学術新聞」。 (出典: 古 葉 竹 識(Yahoo!ニュース))