岸谷五朗さんの若い頃は、どのような姿だったのでしょうか。現在は映画やドラマで幅広い役柄を演じ、演出家としても活躍する岸谷さんですが、俳優人生の出発点は、19歳で入団した三宅裕司さん主宰の劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)でした。
学生時代に舞台俳優を志した理由、寺脇康文さんとの出会い、コントユニット「SET隊」での活動、そして1993年の映画『月はどっちに出ている』によるブレイクまで。本人が2024年のインタビューで語ったエピソードと所属事務所アミューズの公式情報をたどると、若い頃の岸谷さんが持っていた情熱と、現在まで続く演劇へのこだわりが見えてきます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 19歳で劇団SETに入団: 中央大学在学中にオーディションを受け、三宅裕司さんの劇団で俳優人生をスタート。
- 寺脇康文さんとの出会い: SET隊として活動した後、1994年に二人で演劇ユニット「地球ゴージャス」を結成。
- 映画で大きく飛躍: 1993年公開の『月はどっちに出ている』で主演を務め、数々の映画賞を受賞。
- 2026年も第一線で活動: テレビドラマへの出演に加え、舞台の構成・演出も手掛けている。
【若い頃】岸谷五朗はどんな人物だった?学生時代に芽生えた俳優への夢
岸谷五朗さんは1964年9月27日生まれ、東京都出身の俳優です。2026年11月現在は62歳になります。
身長175cmで、所属事務所はアミューズ。俳優だけでなく、演出家やディスクジョッキーとしても活動してきました。
若い頃の岸谷さんを知るうえで興味深いのが、2024年12月29日公開の「婦人公論.jp」のインタビューです。エッセイストの関容子さんによる取材で、幼少期から劇団入団までの経緯を本人が振り返っています。
小学生時代に出会った劇団四季の舞台
岸谷さんが演劇に興味を持つきっかけになったのは、小学生時代に母親に連れて行ってもらった舞台でした。
観劇したのは、劇団四季の『イエス・キリスト=スーパースター』。現在では『ジーザス・クライスト=スーパースター』として知られる作品です。
当時の舞台には、鹿賀丈史さん、市村正親さん、久野綾希子さん、沢木順さんらが出演していました。
岸谷さんは、若い俳優たちが全身で表現するエネルギッシュな舞台に強い印象を受けたと振り返っています。
そのときに心に浮かんだのが、次の言葉でした。
僕はあっち側へ立とう。
観客として舞台を見るだけでなく、自分も演じる側に立ちたい。その思いが、後の俳優人生につながっていきます。
また、当時の家庭は経済的に余裕がなく、母親は岸谷さんとお姉さんを劇場に入れ、自分は客席に入らなかったそうです。
母親自身も演劇好きで、後年まで岸谷さんの芝居を応援していたことを本人が明かしています。
高校時代に舞台俳優を目指すことを決意
意外なのは、岸谷さんが幼い頃から一貫して演劇だけに打ち込んでいたわけではないことです。
本人によると、子どもの頃はバスケットボールやドッジボール、サッカーなど、さまざまなことを器用にこなすタイプだったそうです。
一方で、何でも比較的早くできてしまうため、長続きしないところもあったと語っています。
学生時代も興味のあることを楽しんで過ごしていましたが、高校生になり進路を考える時期に、舞台俳優になりたいという思いが改めて強くなりました。
その後、母親の勧めもあり中央大学に進学します。
ただし、大学生活を演劇サークルで過ごしたわけではありません。大学1年生のときに劇団のオーディションを受け、俳優としての道を早くから歩み始めました。
この決断が、岸谷五朗さんの人生における最初の大きな転機になったのです。
【19歳で劇団入団】三宅裕司主宰のSETで過ごした若き日の下積み時代
1983年、岸谷さんは三宅裕司さんが主宰する劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)に入団します。
当時19歳。中央大学在学中の出来事でした。
100人以上の応募者から選ばれた3人
婦人公論のインタビューで岸谷さんが明かしたところによると、当時のオーディションには100人以上の応募があったそうです。
そのなかで合格したのは、岸谷さんを含めて3人でした。
SETは、三宅裕司さんを中心に、演劇とコメディー、音楽的な要素などを組み合わせた独自の舞台表現を展開する劇団です。
岸谷さんは、入団当初から主役を任されていたわけではありません。
最初はなかなか役が付かず、日々の稽古に励む毎日だったといいます。
そこで岸谷さんが取り組んだのが、舞台に必要な技術を幅広く身につけることでした。
- アクロバット
- タップダンス
- ジャズダンス
- クラシックバレエ
芝居の稽古だけでなく、身体表現やダンスまで積極的に学んでいました。
レッスン代を稼ぐためにアルバイトを掛け持ち
若い頃の岸谷さんを象徴するエピソードが、レッスン費用を自分で稼いでいたことです。
本人の記憶では、当時のクラシックバレエのレッスンは1回約1500円。
その費用を稼ぐために、3時間ほど働かなければならなかったといいます。
夜中のサンドイッチ工場や解体工事など、さまざまなアルバイトを経験しました。
俳優としての収入が安定していない時期でも、演技に必要な技術を身につけるためにお金と時間を使っていたのです。
三宅裕司さんから評価されたのも、こうした自主的な努力でした。
劇団のレッスンだけに頼らず、外部でも積極的に学ぼうとする姿勢を認められたと岸谷さんは語っています。
このエピソードからは、若い頃の岸谷さんが単に目立ちたがりの俳優志望者ではなく、舞台に立つための実力を地道に積み重ねていたことが伝わります。
【寺脇康文との関係】SET隊から地球ゴージャス結成まで
岸谷五朗さんの若い頃を語るうえで欠かせない人物が、俳優の寺脇康文さんです。
二人の関係はSET時代に始まり、約40年にわたって続いています。
SET時代に生まれた二人の友情
寺脇さんは岸谷さんより1年後輩にあたる劇団員でした。
2024年のTHEATER GIRLの対談では、二人が初めて会った頃の印象を振り返っています。
当時、岸谷さんは20歳くらい、寺脇さんは22歳でした。
寺脇さんは、初めて岸谷さんを見たときの印象を、やんちゃで少し怖そうな先輩だったと語っています。
一方、岸谷さんは寺脇さんについて、長髪で爽やかな印象だったと振り返りました。
二人の距離が急速に縮まったのは、劇団員の歓迎会です。
40人以上が集まった飲み会の後、最後まで二人で飲み続け、芝居や好きな俳優、映画の話で盛り上がったそうです。
好きな作品や感覚が驚くほど一致したことが、長い友情の始まりになりました。
コントユニット「SET隊」として活動
岸谷さんと寺脇さんは、劇団での活動と並行して、コントユニット「SET隊」でも活動しました。
このユニットには山田幸伸さんも参加しており、岸谷さん、寺脇さん、山田さんの3人で構成されていました。
SET隊は、劇団の枠を越えたコント活動を展開したユニットです。
当時の岸谷さんは、舞台だけでなくテレビやラジオなど、さまざまな表現の場を経験していました。
こうした活動は、後に映像作品やバラエティー番組でも存在感を発揮する基礎になったと考えられます。
1994年、寺脇康文と地球ゴージャスを結成
1994年、岸谷さんと寺脇さんはSETを退団し、演劇企画ユニット「地球ゴージャス」を結成します。
地球ゴージャスは、固定メンバーで構成される一般的な劇団とは異なり、二人を中心に作品ごとに多彩なゲストを迎えるプロデュース公演の形式を採用しています。
岸谷さんは、作品の演出を担当し、多くの公演で脚本にも携わっています。
俳優として出演するだけでなく、作品全体を作り上げる立場へと活動領域を広げたのです。
アミューズの公式発表でも、1994年の結成以来、二人が地球ゴージャスの中心を担っていることが紹介されています。
【経歴年表】岸谷五朗の若い頃から2026年までの主な転機
ここまでの出来事を時系列で整理すると、岸谷さんのキャリアがどのように発展してきたかが分かります。
| 時期 | 主な出来事 | キャリア上の意味 |
|---|---|---|
| 小学生時代 | 劇団四季の舞台を観劇 | 演劇への興味が芽生える |
| 高校時代 | 舞台俳優を志す | 将来の進路を決意 |
| 1983年・19歳 | 中央大学在学中にSET入団 | 俳優人生のスタート |
| 1980年代 | SET隊として活動 | 寺脇康文らとの関係を深める |
| 1990~1994年 | 『岸谷五朗の東京RADIO CLUB』 | ラジオを通じて知名度が上昇 |
| 1993年 | 『月はどっちに出ている』主演 | 映画界で大きく注目される |
| 1994年 | SET退団、地球ゴージャス結成 | 演出・脚本にも活動を拡大 |
| 2002年 | 『リターナー』に出演 | 日本アカデミー賞優秀助演男優賞 |
| 2024年 | 『光る君へ』出演、地球ゴージャス30周年公演 | 俳優・演出家として活躍 |
| 2026年 | 『田鎖ブラザーズ』出演など | 映像・舞台の両面で活動継続 |
※年表は所属事務所の公式プロフィール、本人インタビュー、作品情報などをもとに整理しています。
【映画『月はどっちに出ている』】若い岸谷五朗が一躍注目された理由
岸谷さんの俳優人生を語るうえで、最大の転機の一つが1993年公開の映画『月はどっちに出ている』です。
監督は崔洋一さん。原作は梁石日さんの小説『タクシー狂躁曲』で、岸谷さんは主人公のタクシー運転手・忠男を演じました。
映画出演につながったのはラジオ番組だった
実は、映画で注目される前から岸谷さんはラジオの世界でも活動していました。
1990年から1994年までTBSラジオで放送された『岸谷五朗の東京RADIO CLUB』、通称「レディクラ」です。
本人によると、この番組をきっかけに名前が知られるようになり、映画『月はどっちに出ている』への出演につながりました。
崔洋一監督から台本を渡され、最終的に主演に選ばれたという経緯も、2024年の婦人公論のインタビューで明かされています。
つまり、岸谷さんの映画俳優としての飛躍は、舞台だけでなくラジオで培った知名度も関係していたのです。
『月はどっちに出ている』で評価された演技
作品は、多国籍都市・東京を舞台に、在日コリアンのタクシー運転手とフィリピン人女性との関係を描いた人間ドラマです。
岸谷さんが演じた忠男は、軽妙さと不器用さを併せ持つ人物。
共演にはルビー・モレノさん、小木茂光さん、遠藤憲一さん、國村隼さん、萩原聖人さんらが名を連ねています。
コメディー的な要素を含みながら、社会的な背景や登場人物の複雑な感情も描いた作品でした。
岸谷さんはこの作品で主演を務め、俳優として大きな評価を獲得します。
受賞した映画賞
『月はどっちに出ている』は、作品そのものも高く評価されました。
岸谷さんの主な受賞歴として知られているのは次の賞です。
- 第48回毎日映画コンクール・男優主演賞
- 第67回キネマ旬報賞・新人男優賞
- 第36回ブルーリボン賞・新人賞
- 第17回日本アカデミー賞・新人俳優賞
- 第8回高崎映画祭・最優秀新人男優賞
これらは1993年公開作品を中心とした1994年前後の映画賞です。
さらに2002年には『リターナー』で第26回日本アカデミー賞優秀助演男優賞も受賞しています。
若手俳優として注目された後も、着実に実績を積み上げてきたことが分かります。
2026年にはデジタルリマスター版が再上映
『月はどっちに出ている』は、公開から30年以上を経た2026年にも話題になっています。
現存するスーパー16mmの原盤フィルムを修復したデジタルリマスター版が、2026年11月27日から公開予定です。
1993年当時の岸谷さんの演技を、改めて映画館のスクリーンで鑑賞できる機会となります。
若い頃の岸谷さんを知りたい人にとっても、当時の表情や演技を確認できる貴重な作品です。
【若い頃の写真・画像】現在と何が違う?岸谷五朗の印象の変化
岸谷五朗さんの若い頃の写真や画像を探す人が注目したいのは、SET時代の舞台写真と映画『月はどっちに出ている』の場面写真です。
特に1993年の映画は、俳優としての岸谷さんが広く知られるようになった時期の映像資料です。
2024年の婦人公論のインタビューにも、映画デビュー作の場面写真がアミューズ提供の写真として掲載されています。
若い頃は鋭く、現在は柔らかな印象に
岸谷さんの若い頃と現在の印象の違いについて、興味深い証言をしているのが寺脇康文さんです。
2024年のTHEATER GIRLの対談で、寺脇さんは岸谷さんについて、昔はナイフのような鋭い目をしていたと振り返りました。
一方で、現在は目元が優しくなったとも話しています。
もちろん、これは長年一緒に活動してきた寺脇さんから見た印象です。
ただ、若い頃の岸谷さんが持っていた攻撃的ともいえるエネルギーと、現在の落ち着いた雰囲気の違いを感じさせるエピソードです。
若い頃の画像を見るときの注目ポイント
当時の写真や映像を比較するときは、次の3点に注目すると、岸谷さんの変化が分かりやすくなります。
1. 表情や目元: SET時代の鋭い印象と、現在の落ち着いた表情。
2. 身体表現: ダンスやアクロバットの稽古で培った舞台俳優らしい身のこなし。
3. 演技の幅: 若い頃の勢いやコミカルな表現から、年齢を重ねて増した重厚感や人物描写の深さ。
なお、インターネット上の画像には、映画の場面写真、舞台写真、近年の宣材写真などが混在しています。
若い頃の姿を確認する場合は、撮影時期と作品名が分かる写真を基準にすると、別作品の写真や年代を取り違えずに済みます。
【2026年最新】岸谷五朗の現在は?俳優・演出家として続く活躍
2026年現在、岸谷さんは62歳。
若い頃に劇団で培った演技力を生かしながら、テレビドラマ、映画、舞台の各分野で活動を続けています。
2024年の大河ドラマ『光る君へ』で藤原為時役
2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』では、主人公まひろ(紫式部)の父親である藤原為時を演じました。
これまでの代表的な出演作には、次の作品があります。
- 『八日目の蝉』(2010年)
- 『江~姫たちの戦国~』(2011年)
- 『青天を衝け』(2021年)
- 『光る君へ』(2024年)
豊臣秀吉や井伊直弼、藤原為時など、時代背景も性格も異なる人物を演じてきました。
特に『光る君へ』での為時役は、若い頃のエネルギッシュなイメージとは異なる、落ち着いた人物表現を見せた作品の一つです。
2026年のドラマ『田鎖ブラザーズ』にも出演
2026年はTBSの金曜ドラマ『田鎖ブラザーズ』に出演しました。
岸谷さんが演じたのは、小池俊太。
岡田将生さん演じる主人公・田鎖真の直属の上司にあたる警察署刑事課の係長です。
作品では、主人公たちを厳しく、時には温かく見守る人物として登場しました。
この出演情報は、2026年2月に地球ゴージャスの公式サイトでも発表されています。
2026年12月にはミュージカルコンサートの構成・演出
岸谷さんの活動は、俳優業だけにとどまりません。
2026年12月2日には、森雪之丞さんの作詞家活動50周年を記念したミュージカルコンサート『物語を歌う言葉たち』が東京国際フォーラム ホールAで開催されます。
岸谷さんは、この公演の構成・演出を担当します。
大原櫻子さん、加藤和樹さん、小池徹平さん、中川晃教さん、新妻聖子さんら、多彩な出演者が参加する公演です。
この仕事からも、岸谷さんが現在、俳優としてだけでなく舞台全体を組み立てる演出家としても活動していることが分かります。
若い頃から現在まで変わらないもの
岸谷さんは2024年の寺脇康文さんとの対談で、二人の基本的な関係性は昔から変わっていないと話しています。
若い頃は、芝居や映画について朝まで語り合い、漫画を持ち寄って交換することもあったそうです。
現在は生活リズムが変わり、昼間に一緒に過ごすことが増えたものの、作品に対する姿勢や互いへの信頼は続いています。
また、岸谷さん自身は映像作品の撮影前に不安を感じることもあると明かしています。
経験を重ねても緊張感を失わず、作品ごとに新鮮な気持ちで演じようとする姿勢が印象的です。
【よくある質問】岸谷五朗の若い頃に関するFAQ
Q1:岸谷五朗は何歳で劇団SETに入団しましたか?
A1:本人の2024年のインタビューによると、大学1年生だった19歳のときです。1983年に三宅裕司さん主宰の劇団スーパー・エキセントリック・シアターに入団しました。
Q2:岸谷五朗の若い頃の写真や画像はどこで見られますか?
A2:映画『月はどっちに出ている』の場面写真や、当時の舞台写真が参考になります。2024年の婦人公論のインタビューにも、映画デビュー作の写真が掲載されています。
Q3:岸谷五朗と寺脇康文は若い頃からの知り合いですか?
A3:はい。二人はSET時代に出会いました。岸谷さんが20歳頃、寺脇さんが22歳頃で、芝居や映画の話を通じて親しくなりました。1994年には二人で地球ゴージャスを結成しています。
Q4:岸谷五朗が俳優として有名になった作品は何ですか?
A4:1993年公開の映画『月はどっちに出ている』です。主人公の忠男を演じ、毎日映画コンクールやキネマ旬報賞、日本アカデミー賞などで評価されました。
Q5:岸谷五朗は2026年現在、何歳ですか?
A5:1964年9月27日生まれのため、2026年11月現在は62歳です。俳優としての活動に加え、舞台の演出や構成も担当しています。
まとめ:岸谷五朗の若い頃は挑戦と努力に満ちた俳優人生の原点
岸谷五朗さんの若い頃を振り返ると、現在の活躍につながる重要な転機がいくつも見えてきます。
小学生時代に劇団四季の舞台を観て演劇に興味を持ち、高校時代に舞台俳優を志すようになりました。
そして19歳で三宅裕司さん主宰のSETに入団。アルバイトをしながらダンスや身体表現を学び、舞台俳優としての基礎を築きました。
寺脇康文さんとの出会い、SET隊での活動、1994年の地球ゴージャス結成を経て、1993年の『月はどっちに出ている』では映画賞を獲得するほどの評価を得ます。
2026年現在もドラマ『田鎖ブラザーズ』や舞台の演出など、幅広い分野で活躍しています。
岸谷五朗さんの若い頃と現在をつなぐ最大の共通点は、演劇に対する情熱と、表現することへの飽くなき探究心です。
華やかな受賞歴だけでなく、19歳の頃から続けてきた地道な努力に目を向けると、現在の岸谷さんの存在感がより深く理解できます。
主な参照資料:アミューズ公式プロフィール・公式ニュース、地球ゴージャス公式サイト、婦人公論.jp(2024年12月29日・岸谷五朗本人インタビュー)、THEATER GIRL(2024年1月30日・岸谷五朗/寺脇康文対談)、映画『月はどっちに出ている』公式作品情報。 (出典: 岸谷 五朗 若い 頃(Yahoo!ニュース))