2人は終戦を知った後、それぞれの故郷へ戻りました。
しかし、約2年間にわたって命を支え合った2人が、その後も交流を続けたのかは気になるところです。
山口静雄さんは宮崎へ帰還し、家族と再会
山口さんの帰還を待っていたのは、宮崎県小林市に残された家族でした。
次男の山口輝人さんは、当時7歳。父親が生きて帰ってくることを信じて待っていたといいます。
UMKテレビ宮崎の2025年の特集では、輝人さんが父親の帰還について次のように振り返っています。
父の帰りを待っているだけ。死んでいるということは考えていなかった。うちの小屋の屋根をちょうど修理しているときに帰ってきた。みんなたまがった(びっくりした)。
戦争で長く離れ離れになっていた家族にとって、父親の帰還は大きな出来事でした。
帰郷後の山口さんは農業に戻り、家庭生活を再開します。1952年には三女の春子さんが誕生しました。
ただし、山口さんは帰還後、再び伊江島を訪れることなく1988年に亡くなっています。
息子の輝人さんは、父親から聞いた戦争体験を書き残していました。その記録が、映画制作における重要な家族の証言の一つになっています。
佐次田秀順さんは沖縄へ戻り、農業と酪農に従事
佐次田さんも、無事に故郷へ帰還しました。
1947年5月に帰郷した後は、牛を飼い、サトウキビを育てる仕事に戻っています。
戦争によって失われた日常を取り戻すように、家族を育てながら農業と酪農に取り組みました。
佐次田さんには、戦争に行く前から長男と長女がいました。帰郷後には次男、三男、次女が誕生しています。
晩年には伊江島を訪れ、学校の子どもたちに自らの体験を伝えていました。
TBS NEWS DIGが2025年に紹介した過去の取材映像では、佐次田さんが樹上生活について語る姿が確認できます。
また、佐次田さんの長男・勉さんは、父親から当時の話を聞いていました。2016年の琉球新報の報道では、佐次田さんが2人で生き残ったことの意味について、家族に語っていたことも紹介されています。
山口静雄さんと佐次田秀順さんは再会したのか?
多くの読者が知りたいのが、2人が故郷へ戻った後に再び会ったのかという問題です。
映画の解説記事では、2人は帰郷後に再会することなく、それぞれの人生を送ったと説明されています。
映画公式サイトの人物プロフィールにも、帰郷後の交流や再会についての記載はありません。
したがって、本人同士が戦後に再会したことを裏付ける公表記録は確認できません。
ただし、ここで注目したいのは、2人の子孫が後年になって出会っていることです。
2024年11月、2人の遺族が伊江島で初対面
2025年7月に放送されたUMKテレビ宮崎の特集によると、山口さんの家族は2024年11月に伊江島を訪れました。
訪問には、山口さんの次男・輝人さんら家族が参加。父親が生き延びたガジュマルの木を訪れ、戦時中の生活に思いを寄せました。
この訪問で、山口さんの遺族と佐次田さんの遺族が初めて対面しました。
2025年5月には映画の撮影現場にも両家の家族が訪れています。
オリコンニュースによると、参加したのは次の方々です。
- 山口家:次男・輝人さん、次女・政子さん、三女・春子さん
- 佐次田家:次男・満さん、長女・京子さん
約80年前に伊江島で命をつないだ2人。その子どもたちが、同じ場所に集まり、父親たちの記憶を共有したのです。
特に印象的なのは、山口さんの三女・春子さんの言葉です。
ここで2人が出会って、頑張ってくれなかったらなかった命。子供たちとか孫とかに広がっていかなかった。
この言葉には、父親たちが生き延びたことによって、次の世代、そのまた次の世代へと命がつながったという実感が込められています。
映画の公開によって、2人の人生は遺族同士を結び付ける新しいきっかけにもなりました。
【映画と実話の違い】木の上の軍隊はどこまで史実に忠実なのか
映画『木の上の軍隊』は、実話をもとにしていますが、記録映像や証言をそのまま再現したドキュメンタリーではありません。
実在した2人の体験を土台に、人物の名前や会話、物語の展開を映画として構成しています。
実在の人物と映画の登場人物は名前が違う
最も分かりやすい違いは、主人公の名前です。
| 実在の人物 | 映画の登場人物 | 演じた俳優 |
|---|---|---|
| 山口静雄さん | 山下一雄少尉 | 堤真一さん |
| 佐次田秀順さん | 安慶名セイジュン | 山田裕貴さん |
山口さんは宮崎県出身、佐次田さんは沖縄県出身です。
映画でも、本土から派遣された上官と沖縄出身の新兵という対照的な人物設定が採用されています。
映画と実話の主な違い
1.人物の名前と役柄
実在する人物の名前をそのまま使うのではなく、山下と安慶名という映画上の名前に置き換えています。
2.2人の性格や会話
厳格な上官と、沖縄出身でどこか飄々とした新兵という人物像は、映画のドラマを成立させるための表現でもあります。
実際の性格や日々の会話を、すべてそのまま再現したものではありません。
3.ガジュマルの木での生活
食料探し、残飯の利用、枝葉で作った隠れ場所などは、実話に基づくエピソードです。
一方、宮崎県小林市の広報資料では、山口さんは大きなガジュマルに、佐次田さんは少し離れた別のガジュマルに身を隠したと説明されています。
映画では2人が大きなガジュマルの木の上で生活する構図にまとめられています。
4.終戦を知らせる手紙
亡くなった戦友の名前を使って手紙を書き、島民からの返事によって終戦を知ったという展開は、映画公式サイトでも実話として紹介されています。
「6日間しか木の上にいなかった」という説は誤り
インターネット上の記事には、実際の樹上生活は6日間だったという説明が見られます。
しかし、これは伊江島の地上戦の期間と混同した情報です。
伊江島の戦闘は1945年4月16日から21日までの6日間。
一方、山口さんと佐次田さんがガジュマルの木の上で生活したのは、1947年3月頃までの約2年間です。
この違いは、映画の実話性を理解するうえで非常に重要です。
【井上ひさしの原案から映画化へ】舞台と映画に受け継がれた記憶
映画『木の上の軍隊』には、もう一つ重要な背景があります。
それは、作家・劇作家の井上ひさしさんが、この実話を舞台作品にしようとしていたことです。
井上ひさしが残した未完の構想
井上ひさしさんは、沖縄戦を背景にした2人の兵士の物語を作品にしようとしていました。
しかし、井上さんは2010年4月9日に75歳で亡くなり、自ら脚本を完成させることはできませんでした。
その構想を引き継いだのが、劇作家の蓬莱竜太さんと演出家の栗山民也さんです。
2013年4月5日、こまつ座とホリプロによる舞台『木の上の軍隊』が初演されました。
井上さんの原案をもとに蓬莱さんが脚本を書き、栗山さんが演出を担当した作品です。
2016年には、琉歌などを取り入れたこまつ座オリジナルバージョンも上演されています。
2025年、平一紘監督によって映画化
映画版では、沖縄出身の平一紘監督が脚本と監督を担当しました。
制作にあたっては、山口さんと佐次田さんの遺族や戦争体験者への取材を重ねています。
映画の基本情報は次のとおりです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | 木の上の軍隊 |
| 沖縄先行公開 | 2025年6月13日 |
| 全国公開 | 2025年7月25日 |
| 監督・脚本 | 平一紘 |
| 原案 | 井上ひさし |
| 上官役 | 堤真一 |
| 新兵役 | 山田裕貴 |
| 主題歌 | Anly「ニヌファブシ」 |
| 配給 | ハピネットファントム・スタジオ |
映画は全編沖縄で撮影され、伊江島の自然や風景も作品に取り入れられました。
特に、木の上での生活を撮影するため、伊江島の公園に映画用のガジュマルを植樹したことも報じられています。
2026年現在も残るガジュマルの木
山口さんと佐次田さんが身を隠したガジュマルの木は、ニーバンガズィマールと呼ばれています。
「ニーバン」は、その木がある宮城家の屋号に由来します。
この木は、2人の命を救った場所として、伊江島の人々に大切にされてきました。
ただし、2023年の台風6号で一度倒木しています。
その後、土を入れ替え、植え直し、支柱を強化するなどの再建作業が行われました。
2026年現在も、伊江島観光協会の映画ロケ地案内では、ニーバンガズィマールが平和の象徴として紹介されています。
また、映画撮影で使用されたガジュマルを再現した木は、ミースィ公園で見学できます。
単なる観光スポットではありません。
木の姿を通して、戦争で何が起きたのか、なぜ2人がそこに隠れなければならなかったのかを考える場所になっています。
【プロの結論】木の上の軍隊の実話が2026年に伝える本当の意味
『木の上の軍隊』の実話を理解するうえで、特に重要なのは次の3点です。
第一に、2人は戦争が終わっても、すぐに戦争から解放されたわけではなかったこと。
日本の降伏によって戦争は終わりました。しかし、伊江島では住民の移住や情報の遮断が起き、2人は終戦を知ることができませんでした。
戦争の終結と、戦場に取り残された人々の生活が終わることは、必ずしも同じではなかったのです。
第二に、2人の生存は個人の精神力だけで説明できないこと。
枝葉を利用した隠れ場所、食料の確保、相手の看病、そして互いの存在。
こうした具体的な支え合いが、約2年間の生存につながりました。
第三に、戦争の記憶は本人が亡くなった後も受け継がれること。
山口さんの次男・輝人さんが父親の話を書き残し、佐次田さんも生前に子どもたちへ体験を語りました。
さらに、2024年から2025年にかけて両家の遺族が伊江島で交流し、映画制作にも参加しました。
この流れを見ると、映画は単に過去の出来事を再現する作品ではありません。
実在した人々の記憶を、次の世代へ手渡す役割も担っています。
戦争体験者が少なくなる2026年だからこそ、映画をきっかけに家族の証言や地域の記録に触れることには大きな意味があります。
【木の上の軍隊の実話とその後】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:木の上の軍隊は本当にあった実話ですか?
A1:はい。宮崎県出身の山口静雄さんと沖縄県出身の佐次田秀順さんという実在の日本兵の体験がモデルです。伊江島で終戦を知らず、約2年間にわたってガジュマルの木の上で生き延びました。
Q2:山口静雄さんと佐次田秀順さんは戦後に再会しましたか?
A2:本人同士の再会を裏付ける公表記録は確認できません。映画解説では再会しなかったと紹介されています。一方、2024年11月には両家の遺族が伊江島で初めて対面し、2025年には映画の撮影現場でも交流しました。
Q3:山口静雄さんはその後どうなりましたか?
A3:宮崎県小林市に帰郷し、農業に戻りました。1952年には三女が誕生し、1988年6月8日に78歳で亡くなっています。
Q4:佐次田秀順さんはその後どうなりましたか?
A4:1947年5月に沖縄へ帰郷し、牛を飼い、サトウキビを植える仕事に戻りました。晩年には伊江島を訪れて子どもたちに戦争体験を伝え、2009年6月11日に91歳で亡くなりました。
Q5:実際に2人が隠れていたガジュマルの木は現在もありますか?
A5:はい。ニーバンガズィマールと呼ばれる木は、2023年の台風6号で倒木しましたが、再建されました。2026年現在も伊江島の平和を伝える場所として紹介されています。
Q6:映画と実話で最も大きな違いは何ですか?
A6:実在の人物の名前が映画用に変更されていることや、人物描写、会話などが映画向けに構成されていることです。また、実際には別々のガジュマルに隠れたという記録もあり、映画の描写とは異なる部分があります。
まとめ:木の上の軍隊の実話とその後、80年を超えて受け継がれる記憶
映画『木の上の軍隊』のモデルとなった山口静雄さんと佐次田秀順さんは、1945年の沖縄県伊江島で激しい戦闘に巻き込まれ、終戦を知らないまま約2年間をガジュマルの木の上で過ごしました。
その後、2人はそれぞれの故郷へ帰還します。
山口さんは宮崎県小林市で農業に戻り、1988年に78歳で亡くなりました。佐次田さんは沖縄で農業と酪農に従事し、2009年に91歳で亡くなりました。
本人同士の戦後の再会については公表記録が確認できない一方、2024年には両家の遺族が伊江島で初めて対面。2025年には映画の撮影現場でも交流が実現しています。
そして、2026年現在もニーバンガズィマールは再建され、映画とともに戦争の記憶を伝えています。
この物語の本当の主役は、戦争を生き延びた2人だけではありません。2人がつないだ命を受け継ぎ、その経験を未来へ伝えようとする家族や地域の人々もまた、この物語の大切な一部なのです。 (出典: 木の上の軍隊 実話 その後(Yahoo!ニュース))