志穂美悦子さんの若い頃の画像を見ると、まず目を引くのが、整った顔立ちと引き締まった身体のバランスです。
ぱっちりとした目元、すっきりした輪郭、凛とした表情には、当時の映画スターらしい華やかさがあります。単にかわいらしいというだけではなく、アクションシーンでも映える強い存在感が特徴でした。
当時の志穂美さんは、清楚な雰囲気と本格的な格闘技をこなす運動能力という、意外性のある魅力を持っていました。
若い頃の魅力は顔立ちだけではなかった
志穂美さんの魅力を理解するには、当時の映画界の状況も知っておく必要があります。
1970年代の日本映画では、激しい格闘やスタントを女性俳優自身がこなす作品は限られていました。アクション作品の中心は男性俳優であり、女性はヒロインや助演として登場することが一般的でした。
その中で、志穂美さんは自ら身体を動かし、蹴りや投げ技を取り入れたアクションを披露しました。
つまり、若い頃の画像から伝わる美しさは、単なる外見的な魅力だけではありません。画面の中で動き、戦い、役柄を成立させる表現力も含めて評価されていたのです。
プロフィール・生年月日・出身地
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 志穂美悦子(しほみ・えつこ) |
| 生年月日 | 1955年10月29日 |
| 2026年11月現在 | 71歳 |
| 出身地 | 岡山県西大寺市(現・岡山市東区) |
| 血液型 | A型 |
| 本名 | 塩見悦子 |
| 職業 | 元女優・花創作家・シャンソン歌手 |
| 夫 | 長渕剛 |
| 芸能界での活動 | 1970年代~1980年代 |
| 現在の歌手名 | 鬼無里まり |
生年月日や出身地は、テレビ情報サイトや芸能プロフィールにも掲載されています。岡山県西大寺市は現在の岡山市東区にあたり、志穂美さんの故郷でもあります。
【高校時代から運命が変わった】JAC入団と千葉真一との関係
志穂美悦子さんの人生を大きく変えたのが、高校時代に経験したジャパンアクションクラブ(JAC)との出会いです。
2026年6月の日刊スポーツのインタビューでは、高校2年生の春にJACの存在を知り、自分から入団を希望するはがきを送った経緯が紹介されています。
高校2年生で自らJACに応募
志穂美さんは、もともと運動神経に恵まれた少女でした。
中学時代にはスポーツを題材にしたテレビドラマを見て、身体を動かす女優という仕事に関心を持つようになります。
さらに、千葉真一さんが出演するアクションドラマ『キイハンター』を見たことが、スタントのできる女優への憧れを強めるきっかけになりました。
高校2年生の春、雑誌『週刊明星』でJACの一期生を紹介する記事を目にします。
そこで志穂美さんは、入団を希望するはがきを自ら送りました。
父親は国家公務員で、当初は芸能界に進むことに強く反対していたそうです。しかし、本人が真剣な気持ちを伝えたことで、最終的には高校を卒業することを条件に挑戦を認めました。
オーディションでは前転と後転を披露して合格。岡山から上京し、アクション女優への道を歩き始めます。
千葉真一は単なる所属先の代表ではなく恩師
JACを設立したのは、アクション俳優として国内外で活躍した千葉真一さんです。
志穂美さんは、千葉さんのもとで約1年間の訓練を経験しました。
その訓練は、一般的な演技レッスンとは大きく異なるものでした。
- アクションやスタントの基礎訓練
- 高所からのジャンプなどを想定した訓練
- 身体能力を鍛える実践的な練習
- 映画撮影に対応するための技術習得
2026年の日刊スポーツの取材では、月曜日から土曜日まで訓練に取り組んでいたことも明らかになっています。
プールで手足を縛って泳ぐ訓練や、ビル間の綱渡り、ヘリコプターを使った訓練など、非常に実践的な内容でした。
興味深いのは、志穂美さんが千葉さんを直接「先生」や「師匠」と呼んでいたわけではないことです。
千葉さん自身がそう呼ばれることを好まなかったため、志穂美さんは恩師として「師」と仰いでいました。
同じJAC出身の真田広之さんについても、千葉さんが後輩の活躍を認め、育て上げた姿勢を高く評価しています。
この関係は、志穂美さんのキャリアを理解するうえで重要です。
千葉真一さんから学んだのは技術だけではありません。女性だからという理由でアクションの可能性を狭めず、実力で役を勝ち取るという姿勢も、JACで培われたものだったのです。
【出演作を年代順に整理】『女必殺拳』から『二代目はクリスチャン』まで
志穂美悦子さんの映画出演歴を振り返ると、アクション女優としての出発点から、時代劇、SF、青春映画、ドラマ性の強い作品へと活動の幅が広がっていったことが分かります。
1973年『ボディガード牙』で映画界へ
1973年、志穂美さんは千葉真一さん主演の『ボディガード牙』関連作品でアクションの吹き替えを担当し、続く『ボディガード牙 必殺三角飛び』でスタントデビューを果たしました。
当時の芸名は本名の塩見悦子でした。
その後、野際陽子さんから芸名について助言を受け、千葉真一さんの本名に由来する一文字を取り入れた「志穂美悦子」という名前になったと、2026年の本人インタビューで語られています。
1974年『女必殺拳』で初主演
大きな転機となったのが、1974年公開の映画『女必殺拳』です。
志穂美さんが演じたのは、李紅竜という拳法の達人。
失踪した兄を捜すために日本へやってきた女性が、麻薬組織に立ち向かう物語です。
本格的な格闘アクションを女性主人公が担う作品として、当時の映画界でも存在感を示しました。
映画.comによると、公開日は1974年8月31日。その後、『女必殺拳 危機一発』『帰って来た女必殺拳』『女必殺五段拳』などの関連作品へと展開していきます。
代表作・出演歴とキャリアの転換点
| 年代 | 作品名 | キャリア上の意味 |
|---|---|---|
| 1973年 | ボディガード牙 | アクションの吹き替えなどを経験 |
| 1973年 | ボディガード牙 必殺三角飛び | スタントデビュー |
| 1974年 | 女必殺拳 | 映画初主演 |
| 1974年 | 女必殺拳 危機一発 | アクション女優としての人気を拡大 |
| 1975年 | 少林寺拳法 | 千葉真一との共演作 |
| 1976年 | 女必殺五段拳 | 女必殺拳シリーズの代表作 |
| 1978年 | 宇宙からのメッセージ | SF大作にも出演 |
| 1978年 | 柳生一族の陰謀 | 時代劇で男装の剣士・柳生茜を演じる |
| 1982年 | 蒲田行進曲 | アクション以外の映画にも出演 |
| 1983年 | 里見八犬伝 | 犬坂毛野役 |
| 1984年 | 上海バンスキング | 日本アカデミー賞優秀助演女優賞 |
| 1985年 | 二代目はクリスチャン | シスター今日子役で主演 |
| 1986年 | 男はつらいよ 幸福の青い鳥 | 第37作のマドンナ・島崎美保役 |
映画出演歴は、映画.com、allcinema、WEBザテレビジョンなどの作品データと照合できます。
アクションだけではない演技力
志穂美さんのキャリアをアクション映画だけで説明するのは不十分です。
1970年代後半からは、テレビドラマでも活躍しました。
代表的な作品には次のようなものがあります。
- 『キカイダー01』
- 『熱中時代』
- 『噂の刑事トミーとマツ』
- 『親子ゲーム』
- 『金曜日の妻たちへII 男たちよ元気かい?』
とくに1980年代に入ってからは、アクションの技術を生かしながら、日常的な人物や人間関係を中心とした役柄にも挑戦しています。
1984年の『上海バンスキング』などでは、アクションとは異なる表現力も評価されました。第8回日本アカデミー賞では、同作などによって優秀助演女優賞を受賞しています。
【女優としての到達点】『二代目はクリスチャン』と1980年代の活躍
志穂美悦子さんの代表作として、現在も語り継がれる作品が1985年公開の『二代目はクリスチャン』です。
この映画で演じたのは、シスター今日子。
原作・脚本はつかこうへいさん、監督は井筒和幸さんです。
シスター役とアクション女優の意外な組み合わせ
物語の主人公は、教会で暮らすシスターです。
ひょんなことからヤクザの跡取りと結婚することになりますが、結婚式で夫が殺害され、思いがけず組織の二代目を引き継ぐことになります。
信仰を持つ女性でありながら、暴力や組織の抗争に立ち向かうという設定は、志穂美さんの持ち味を生かした役柄でした。
1985年9月14日に公開されたこの作品では、彼女のアクション能力だけでなく、喜怒哀楽を表現する演技力も重要な見どころになっています。
JACから独立した1985年
この時期には、仕事上でも大きな変化がありました。
志穂美さんは1985年にJACから独立し、個人事務所を設立しています。
本人は後年のインタビューで、長年同じ組織に所属する中で、自分自身の判断で仕事を進めたいという気持ちが強くなったことを説明しています。
JACは自分を育ててくれた大切な場所でありながら、組織の中にいることで生じる制約も感じていたそうです。
ここから見えてくるのは、志穂美さんが単にアクション女優として成功しただけではなく、自分の仕事や人生の方向を主体的に選んできた人物だということです。
【長渕剛との結婚と芸能活動からの転身】子供や家族についても紹介
志穂美悦子さんの人生における大きな転換点が、歌手・長渕剛さんとの結婚です。
2人は1986年のTBSドラマ『親子ゲーム』で初共演。その後、映画『男はつらいよ 幸福の青い鳥』でも共演しています。
そして1987年に結婚しました。
なぜ女優を引退したのか?
志穂美さんの引退理由については、本人が複数のインタビューで当時の心境を語っています。
2023年12月のフジテレビ系『ぽかぽか』出演時には、当初は女優を辞めるつもりではなかったことを明かしました。
長渕さんから「家の中に2つの星はいらない」という趣旨の言葉をかけられたことも、家庭に入るきっかけとして紹介されています。
一方、2026年6月の日刊スポーツのインタビューでは、結婚時に引退会見を開いたわけではなく、結婚会見で引退を宣言したわけでもなかったと説明しています。
さらに、女優という仕事を通して人の脚本や演出に従って生きることから、自分自身の実人生を豊かにすることへ関心が移っていったとも語っています。
出産を経験し、子育てという新たな挑戦に向き合ったことも、芸能活動から離れる大きな転機でした。
つまり、結婚だけを単純な引退理由とするよりも、本人の価値観やライフステージの変化も含めて理解する必要があります。
子供は何人?家族構成は?
長渕剛さんと志穂美さんの間には、1女2男の3人の子供がいます。
2023年の日刊スポーツの報道では、子供たちはそれぞれ独立していると紹介されました。
また、同番組で志穂美さんは、子育てについても話しています。
長渕さんは家庭内でも厳しい父親だった一方、志穂美さん自身は子供の勉強について細かく指示するより、本人の好きなことを大切にする考え方だったそうです。
家族について公に語られている内容を整理すると、次のとおりです。
| 家族 | 関係 |
|---|---|
| 長渕剛 | 夫・シンガーソングライター |
| 文音 | 長女・女優 |
| 長男 | 長男 |
| 次男 | 次男 |
娘の文音さんは女優として活動しており、2026年4月には芸能事務所ツインプラネットへの所属が発表されました。
志穂美さんは、長渕さんの妻であると同時に、映画界で独自のキャリアを築いた俳優でもあります。家族の存在によって人生の方向を変えた後も、自分自身の表現活動を再び広げている点が印象的です。
【2026年最新】志穂美悦子の現在は花創作家・鬼無里まりとして活動
2026年現在の志穂美悦子さんは、花創作家として活動する一方、シャンソン歌手「鬼無里まり」としても舞台に立っています。
かつてのアクション女優という肩書きだけでは語れない、新しい活動領域を築いています。
2010年から花創作家として本格的に活動
公式プロフィールによると、志穂美さんは2010年からフラワーデザイナーの前田玲子さん、清水はるみさんに師事しました。
2011年には、自身のフラワーアートをまとめた写真集『INSPIRE』を出版。売り上げを東日本大震災の復興支援やチベット難民キャンプへの支援に役立てています。
その後も花を通じた社会貢献活動を続け、2016年にはJA長生と協力して「ひまわりプロジェクト」を立ち上げました。
この活動では全国のボランティアとともにひまわりを育て、宮城県、福島県、熊本県などの被災地へ届けています。
また、2014年には奈良の薬師寺で「聖観世音菩薩に捧げる花展」を開催。2015年から2023年にかけては世界らん展でも特別展示やパフォーマンスを披露しました。
鬼無里まりとしてシャンソン歌手デビュー
もう一つの大きな転機が、シャンソン歌手としての活動です。
2024年から「鬼無里まり」という名前で歌手活動を開始しました。
2024年11月27日に開催された日本シャンソンコンクールでは、楽曲『赤いポスター』を歌い、優秀賞を受賞しています。
さらに2025年11月の日本シャンソンコンクールでも優秀賞を獲得し、2年連続の受賞となりました。
2025年には東京シャンソンコンクールでグランプリも受賞したと、NHK文化センターの2026年の紹介資料に記載されています。
鬼無里まりとしての活動は、かつてのアクション女優とは異なる表現方法です。
しかし、歌を通じてメッセージを届けるという点では、映画の中で身体を使って表現していた若い頃の志穂美さんと通じる部分もあります。
2026年の活動は?ライブや花の展示にも出演
2026年の公式サイトには、次のような活動が掲載されています。
| 時期 | 活動内容 |
|---|---|
| 2026年2月 | 世界らん展2026で花の展示 |
| 2026年2月 | 帝国ホテルで開催された国風盆栽展第100回記念式典で国歌独唱 |
| 2026年3月 | NHK文化センター青山教室の講座に登壇 |
| 2026年3月 | 鬼無里まり名義でソロライブ |
| 2026年5月 | 岡山凱旋ソロライブ |
| 2026年6月 | 舞台『恩讐の彼方』のアフタートークにゲスト出演 |
| 2026年7月 | シャンソンのソロライブ、各地のパリ祭に出演 |
| 2026年10月 | シャンソンティック歌謡祭に出演予定として公式掲載 |
NHK文化センターの2026年2月の発表では、3月24日に青山教室で講座を開催することも告知されました。
また、日刊スポーツの2026年6月のインタビューでは、現在も10日に1度ほどボクシングジムに通っていると紹介されています。
取材時には頭上まで脚を蹴り上げる姿も披露しており、身体を使った表現への意欲は健在です。
71歳を迎えた現在も、新しいジャンルに挑戦する姿勢は変わっていません。
映画から花へ、そして歌へ。志穂美さんの人生は、活動の形を変えながらも、表現することを続けてきた歩みだといえます。
【志穂美悦子の若い頃】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:志穂美悦子の若い頃は本当に美人だった?
A1:はい。端正な顔立ちと凛とした雰囲気が魅力で、1970年代には清楚なアクションヒロインとして人気を集めました。『女必殺拳』などの映画スチールや当時のポスターでも、若い頃の存在感を確認できます。
Q2:志穂美悦子は高校時代にJACへ入った?
A2:高校2年生の春にJACを知り、自ら応募してオーディションに合格しました。父親の承諾を得て岡山から上京し、千葉真一さんのもとで訓練を積みました。
Q3:志穂美悦子と千葉真一の関係は?
A3:千葉真一さんが設立したJACで指導を受けた関係です。志穂美さんは千葉さんを恩師として尊敬し、師と仰いでいました。
Q4:志穂美悦子の代表作は何?
A4:『ボディガード牙 必殺三角飛び』『女必殺拳』シリーズ、『宇宙からのメッセージ』『里見八犬伝』『上海バンスキング』『二代目はクリスチャン』などです。
Q5:志穂美悦子はなぜ芸能界を引退した?
A5:1987年の長渕剛さんとの結婚と出産が転機になりました。家庭や子育てに向き合う中で、自分自身の人生を新しい形で充実させたいという気持ちも強くなったと、本人が2026年のインタビューで説明しています。
Q6:志穂美悦子の子供は何人?
A6:長渕剛さんとの間に1女2男の3人がいます。長女の文音さんは女優として活動しています。
Q7:志穂美悦子は2026年現在何をしている?
A7:花創作家として作品制作や展示活動を続けるほか、鬼無里まり名義でシャンソン歌手としてライブやコンサートに出演しています。
まとめ:志穂美悦子の若い頃から現在まで変わらない挑戦心
志穂美悦子さんの若い頃を振り返ると、単に美しい女優だったというだけではなく、当時の日本映画界で女性アクション俳優という新しい道を切り開いた人物だったことが分かります。
高校2年生でJACへの入団を決意し、千葉真一さんの指導を受けながら厳しい訓練を積み、『女必殺拳』で主演女優としての地位を確立しました。
その後も『宇宙からのメッセージ』『上海バンスキング』『二代目はクリスチャン』などで活躍。1987年の長渕剛さんとの結婚を機に、人生の新しいステージへ進みました。
そして2026年現在は、花創作家とシャンソン歌手という2つの顔を持っています。
【プロの結論】
志穂美悦子さんのキャリアから読み取れる最大のポイントは、成功した分野にとどまらず、自分の意思で新しい表現領域へ進んできたことです。
若い頃のアクション女優としての実績は、現在の活動とは切り離された過去ではありません。身体を鍛え、表現を追求し、自分にしかできないものを形にする姿勢は、花創作や歌にも受け継がれています。
若い頃の美しさに注目して作品を見るのも一つの楽しみ方ですが、『女必殺拳』から『二代目はクリスチャン』、そして鬼無里まりとしての現在までを時系列で追うと、志穂美悦子という表現者の本当の魅力が見えてきます。
71歳になった今も挑戦を続ける姿は、かつてスクリーンで輝いたアクション女優の新たな物語そのものです。 (出典: 志穂美 悦子 若い 頃(Yahoo!ニュース))