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2026年11月04日 更新
Pathless 注目特集

日本最古の貨幣とされる富本銭の謎と和同開珎・無文銀銭の関係性

目次
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    日本最古の貨幣として教科書や歴史的資料にその名を刻む「富本銭(ふほんせん)」。しかし、この小さな銅銭を巡っては、実際に市場で人々の経済活動を支えるために流通していたのか、あるいは宗教的なまじないや呪術に用いる「厭勝銭(えんしょうせん)」に過ぎなかったのかという大きな論争が続いています。2026年現在も考古学的発見や銭貨の分析が進められる中、日本貨幣史の起源を揺るがす謎として注目を集め続けています。

    本記事では、富本銭の鋳造年代や天武天皇との関わり、無文銀銭や和同開珎との複雑な関係性を紐解きながら、最新の学説や出土状況、貨幣価値にまつわる議論の真相を徹底的に解説します。

    📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
    • 要点1:富本銭は683年(天武天皇12年)頃に鋳造されたと推定され、708年の和同開珎よりも古い歴史を持つ。
    • 要点2:実際に流通した「日本最古の流通貨幣説」と、呪術用の「厭勝銭説」の間で学説が大きく対立している。
    • 要点3:無文銀銭から富本銭、そして和同開珎へと至る日本の貨幣制度の進化過程には、未解明の謎が多く残されている。

    富本銭とは何か?天武天皇の時代と鋳造年代の謎

    富本銭
    【画像】富 本 銭 関連ショット

    富本銭は、日本の古代史において貨幣制度の幕開けを語る上で欠かせない存在です。公式な記録や近年の発掘調査による研究成果によると、この銭貨は683年(天武天皇12年)頃につくられたと推定されています。天武天皇といえば、日本の律令制の礎を築き、中央集権的な国家体制を急ピッチで進めた君主として知られています。その背景の中で、国家の威信を示し、経済を管理する手段として貨幣の鋳造が計画されたと考えられてきました。

    しかし、ここで大きな疑問となるのが「鋳造年代」と「実際の使用目的」の整合性です。日本で本格的な流通貨幣として長く定説とされてきたのは、708年(和銅元年)に発行された和同開珎でした。しかし、和同開珎よりもさらに四半世紀ほど古い時期に富本銭がつくられていたことが判明したことで、古代日本の貨幣史のタイムラインに大きな修正が迫られることになりました。

    流通説 vs 厭勝銭説:富本銭は本当にお金として使われたのか?

    富本銭
    【写真】富 本 銭 近影・注目カット

    富本銭を巡る最大の論点は、それが「実際に流通した貨幣(流通説)」だったのか、それとも神仏への祈りや呪術、まじないのために作られた「厭勝銭(厭勝銭説)」にすぎなかったのかという点にあります。

    流通説を支持する研究者たちは、全国各地の遺跡からの出土状況や、銭貨としての規格性に着目しています。貨幣経済が未発達だったとされる飛鳥・奈良時代において、国家が小額貨幣を流通させようと試みたものの、当時の経済規模や物資経済の壁に阻まれてごく限られた範囲でしか流通しなかった、あるいは短期間で流通が停止してしまったのではないかと推測されています。もしこれが実用貨幣であれば、日本最古の流通貨幣の座は和同開珎から富本銭へと塗り替わることになります。

    一方で、厭勝銭説を唱える立場からは、富本銭の文様や文字の配置、そして出土した文脈が指摘されます。富本銭の表面には「富」「本」の文字とともに、北斗七星などを模したとされる独特の星辰図や放射状の文様が描かれています。これらは古代の中国における道教的な思想や宇宙観を強く反映しており、実用的な経済取引の道具というよりも、祭祀や儀礼、あるいは魔除けの呪具として大切に扱われたり副葬品として埋納されたりした可能性が高いと主張されています。学界では長年にわたりこの二つの説が議論されており、現在も決定的な決着には至っていません。

    無文銀銭・富本銭・和同開珎の関係性と貨幣価値の変遷

    富本銭
    【資料】富 本 銭 報道・メディア記録

    日本の初期貨幣の系譜を理解するためには、富本銭の前後に位置する「無文銀銭」と「和同開珎」との関係性を整理する必要があります。古代日本の貨幣制度がどのようにステップアップしていったのかを以下の表にまとめました。

    名称推定鋳造時期主な特徴・材質機能と流通の謎
    無文銀銭7世紀後半(大宝律令以前)文字や模様のない銀製の小型片日本最古の秤量貨幣的性格を持つが、発行主体や流通範囲は不明確。
    富本銭683年(天武天皇12年)頃銅製、円形方孔、「富」「本」の文字と星辰文様実用貨幣として流通したか、呪術用の厭勝銭だったかで学説が対立。
    和同開珎708年(和銅元年)銅製・銀製、円形方孔、「和同開珎」の4文字日本で初めて本格的かつ持続的に全国流通したことが確実視される公鋳銭。

    この表からもわかるように、無文銀銭から富本銭、そして和同開珎へと至る流れは、単なる技術の向上だけでなく、国家による経済支配の仕組みが模索された歴史でもあります。無文銀銭は重さを量る秤量貨幣的な側面があり、その後に登場した富本銭は形としての「銭貨(鋳貨)」のスタイルを提示しました。そして和同開珎に至って、ようやく法貨としての流通システムが本格的に機能し始めたと考えられています。

    貨幣価値についても、当時の米や布といった物納経済(本位商品)との交換レートがどのように設定されていたのかは完全には解明されていません。富本銭や無文銀銭がどれだけの購買力を持っていたのかは、今後の出土品の分析や木簡の解読に委ねられています。

    全国各地からの出土がもたらす新たな発見と謎

    富本銭の性格を解き明かす上で最も重要な鍵を握るのが、考古学的な「出土」データです。かつては一部の限られた都城跡や寺院跡からしか見つかっていなかった富本銭ですが、近年の発掘調査の進展に伴い、地方の豪族居館跡や一般集落跡からも出土する事例が増えてきました。

    もし富本銭が単なる宮廷内の儀礼用(厭勝銭)であれば、都から遠く離れた地方の遺跡から日常的な廃棄物や生活面と一緒に見つかることは説明がつきにくくなります。このため、「地方の役所や有力者の間でも、何らかの取引や価値の尺度として実際に使われていたのではないか」という見方が強まりつつあります。一方で、地方で出土した場合でも祭祀の痕跡を伴うケースが多く、呪具としての利用が完全に否定されたわけではありません。出土状況の緻密な分析こそが、長年の謎に終止符を打つ最大の武器となっています。

    【富本銭】に関するよくある質問(FAQ)

    Q1:富本銭は日本で一番古いお金なのですか?
    A1:文字が記された鋳造銭としては日本最古とされていますが、それ以前にも無文銀銭などが存在していました。また、実際に経済取引で広く流通していたかどうかについては学説が分かれています。

    Q2:富本銭の「富本」という言葉にはどんな意味があるのですか?
    A2:文字通り「富が本(もと=基本・充実する)」という意味を持ち、国家の繁栄や豊かさを願う祈りが込められていると考えられています。道教的な思想とも深く結びついています。

    Q3:和同開珎と富本銭の最大の違いは何ですか?
    A3:和同開珎は朝廷が本格的な流通貨幣として全国に普及させたことが歴史的記録(続日本紀など)で確認されていますが、富本銭は流通目的だったのかまじない用だったのかが史料上ではっきりしていない点に違いがあります。

    まとめ:古代日本の貨幣史における富本銭の真価と今後の展望

    富本銭を巡る議論は、単に「日本で一番最初にお金を作ったのは誰か」という記録の更新に留まらない深い意味を持っています。それは、古代の日本人が国家体制を整え、経済や流通、さらには精神世界(道教や呪術)をどのように結びつけていたのかを映し出す鏡でもあります。

    流通説と厭勝銭説のどちらに軍配が上がるにせよ、天武天皇の治世において高度な鋳造技術と独自の貨幣観が存在していたという事実は揺るぎません。今後も新たな遺跡の発見や科学的分析技術の向上により、富本銭が秘めたさらなる歴史の真実が解き明かされていくことが期待されます。 (出典: 富 本 銭(Yahoo!ニュース))

    高橋 健太 (Kenta Takahashi)
    高橋 健太 (Kenta Takahashi) エンタメコラムニスト

    テクノロジーやライフスタイル領域を中心に執筆活動を行っています。趣味は写真撮影と旅行です。