元TOKIOのリーダーとして長年親しまれてきた城島茂さん。現在は落ち着いた雰囲気と親しみやすいキャラクターが印象的ですが、若い頃は端正な顔立ちのアイドルとして活動していました。実は、芸能界入りのきっかけは少年隊への憧れ。10代でジャニーズ事務所に入り、光GENJIのバックダンサーグループ「平家派」を経験した後、山口達也さんとのバンド活動を経てTOKIOの結成へと進んでいます。
一方、華やかなアイドル人生の裏側には、19歳で仕事に恵まれず栄養失調になったという苦労もありました。2025年のTOKIO解散を経て、2026年には株式会社城島ファームの代表取締役として新たな活動を開始。55歳となった現在も『ザ!鉄腕!DASH!!』への出演を続けています。10代・20代の写真や当時のエピソードを振り返りながら、若い頃から現在までの歩みを整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 入所のきっかけ:1985年、14歳のときにテレビで見た少年隊に憧れ、ジャニーズ事務所に履歴書を送った。
- アイドルとしての下積み:光GENJIのバックダンサーグループ・平家派を経験し、山口達也さんと城島茂バンドを結成。19歳では栄養失調になるほど仕事に恵まれなかった。
- 2026年現在:TOKIOは2025年に解散。株式会社城島ファームの代表取締役として活動し、『ザ!鉄腕!DASH!!』への出演継続も表明している。
【10代の城島茂】少年隊に憧れたジャニーズ入所の理由と若い頃の画像
1970年生まれ、奈良県で育った少年時代
城島茂さんは1970年11月17日生まれ。奈良県出身で、2026年11月3日時点では55歳です。
芸能界入りを決意したのは14歳だった1985年。テレビで見た少年隊のパフォーマンスに魅了されたことが、人生の大きな転機になりました。
文春オンラインが2019年に掲載した人物紹介記事によると、城島さんは少年隊に憧れ、芸能界を目指すようになり、ジャニーズ事務所に履歴書を送付。当時のジャニー喜多川氏との面接を経て、翌1986年に入所しました。
当時は高校1年生。15歳で芸能活動の世界に足を踏み入れたことになります。
現在の城島さんからは想像しにくいかもしれませんが、当初からバラエティー番組で親しまれるキャラクターだったわけではありません。少年隊のような華やかなアイドルへの憧れを出発点に、歌やダンスなどの芸能活動に取り組んでいました。
城島茂の若い頃の画像はどこで見られる?
10代から20代にかけての城島さんの姿を振り返る資料として注目したいのが、TOKIOのデビュー当時の写真です。
2021年9月21日、株式会社TOKIOの公式SNSでは、1994年9月のアルバムを見返したという投稿とともに、メンバーの若い頃の写真が紹介されました。リアルサウンドも当時の写真を取り上げています。
また、2021年12月放送のフジテレビ系ドキュメンタリー『連続ドキュメンタリー RIDE ON TIME』では、株式会社TOKIOの特集で若い頃の写真を見た城島さん自身が懐かしむ様子も紹介されました。
こうした当時の写真を見ると、現在の柔和な表情とはまた異なる、アイドルとして活動していた頃の城島さんの雰囲気を感じられます。
【平家派時代】光GENJIのバックダンサーから山口達也とのバンド結成へ
光GENJIのバックダンサーグループ「平家派」に所属
ジャニーズ事務所に入所した城島さんが経験したのが、先輩グループのバックダンサーとしての活動です。
当時人気を集めていた光GENJIのバックダンサーグループとして結成されたのが「平家派」でした。
城島さんは平家派のメンバーとして活動しながら、テレビ番組などにも出演。華やかなステージに立つ先輩たちの後ろで経験を積んでいきました。
ただし、本人にとってダンスは得意分野ではなかったと文春オンラインの記事で紹介されています。アイドルとして求められる能力と、自分が得意とすることとの間にギャップがあったようです。
そこで存在感を発揮するきっかけになったのが、音楽でした。
山口達也と結成した「城島茂バンド」
高校時代、文化祭でバンドを組んだ経験からギターを練習していた城島さん。同じ頃、ベースを弾ける山口達也さんと出会います。
2人は「城島茂バンド」を結成。光GENJIのバックを担当するなど、ダンサーとは異なる形で音楽活動に取り組むようになりました。
ここで押さえておきたいのは、平家派と城島茂バンドは同じものではないという点です。
平家派は光GENJIのバックダンサーグループであり、城島茂バンドは城島さんと山口さんを中心とした音楽活動の形でした。ダンスが苦手だった城島さんが、ギターという得意分野を足がかりに自分の居場所を見つけていった過程がうかがえます。
城島茂バンドからTOKIO BANDへ
その後、城島茂バンドには松岡昌宏さんらが加わり、TOKIO BANDへと発展していきます。
さらに、国分太一さんや長瀬智也さんも参加。メンバーや担当楽器が変化する時期を経ながら、現在知られるTOKIOの原型が形成されました。
最初から完成された5人組として活動を始めたわけではありません。バックダンサー、バックミュージシャン、バンド活動という複数の経験が、後のTOKIOの音楽性につながっていったのです。
【年齢別年表】城島茂の10代・20代からTOKIOデビューまでの経歴
城島さんの若い頃を理解するうえでは、年齢と出来事を照らし合わせると、その歩みが分かりやすくなります。
1970年生まれという基本プロフィールを基準にすると、少年隊への憧れから1994年のCDデビューまで、およそ9年間の下積みと準備期間があったことが分かります。
| 時期 | 年齢 | 主な出来事・活動 |
|---|---|---|
| 1970年 | 0歳 | 11月17日、誕生 |
| 1985年 | 14歳 | 少年隊に憧れ、芸能界を志す。ジャニーズ事務所に履歴書を送る |
| 1986年 | 15歳 | 高校1年生でジャニーズ事務所に入所 |
| 1980年代後半 | 10代後半 | 平家派に所属し、光GENJIのバックダンサーとして活動 |
| 1989年前後 | 18〜19歳 | 山口達也と城島茂バンドを結成 |
| 1990年4月 | 19歳 | TOKIOの結成時期。バンドとしての活動が発展 |
| 1994年9月21日 | 23歳 | シングル「LOVE YOU ONLY」でCDデビュー |
| 1995年 | 24歳 | 『ザ!鉄腕!DASH!!』の前身となる番組がスタート |
| 2025年6月 | 54歳 | TOKIOが解散 |
| 2026年 | 55歳 | 株式会社城島ファームを設立。『ザ!鉄腕!DASH!!』出演継続を表明 |
※年齢は誕生日である11月17日を基準に算出しています。1989年前後の年齢は活動時期により18〜19歳です。
1994年、23歳で「LOVE YOU ONLY」をリリース
城島さんの長い下積みが大きな節目を迎えたのが1994年です。
1994年9月21日、TOKIOはシングル「LOVE YOU ONLY」でCDデビューを果たしました。
発売日はSTARTO ENTERTAINMENTのディスコグラフィーにも記録されている公式データです。
当時の城島さんは23歳。10代でジャニーズ事務所に入所してから約8年が経過していました。
同年には日本武道館公演やNHK紅白歌合戦への初出場も果たし、TOKIOは音楽グループとして知名度を高めていきます。
また、TOKIOのリーダーに選ばれた経緯にも興味深いエピソードがあります。文春オンラインによると、最初から最年長だから自動的にリーダーになったわけではありません。
ロケバス内でメンバーが騒いでいた際、少年隊の植草克秀さんからリーダーを決めるよう促されたことがきっかけでした。その後、メンバー同士で話し合い、じゃんけんで城島さんがリーダーに決まったといいます。
その後は出演番組の映像を確認したり、衣装や曲順を考えたり、マネージャー的な役割まで担うようになりました。現在の面倒見のよいリーダー像は、こうした経験から形成された部分もありそうです。
【下積み時代の真実】19歳で栄養失調になるほど仕事がなかった?
ジャニーズ所属でも仕事が安定していたわけではない
城島さんの若い頃を語るうえで見逃せないのが、華やかなアイドル活動とは対照的な厳しい生活です。
2020年4月に放送されたフジテレビ系『TOKIOカケル』では、19歳当時の城島さんについて、ジャニーズ事務所に所属していたものの仕事がなく、栄養失調になったエピソードが紹介されました。
この話は、2020年4月25日付のSmart FLASHの記事をライブドアニュースが掲載した際にも取り上げられています。
番組では、国分太一さんが過去に城島さんの腕に異変が出ていたことを振り返り、病院で栄養失調と診断されたエピソードを紹介。食費にも困るほど生活が厳しかったことが伝えられました。
仕事がない時期には、金銭的な余裕も十分ではなく、食生活にも苦労していたようです。
デビュー後もすぐに順風満帆だったわけではない
興味深いのは、23歳でTOKIOとしてCDデビューした後についても、仕事がない時期の話が紹介されていることです。
『TOKIOカケル』では、デビュー当時の城島さんが仕事に恵まれず、パチンコ店に頻繁に通っていたというエピソードも取り上げられました。
つまり、CDデビューはゴールではなく、芸能人として安定した仕事を得るための新たなスタートだったのです。
現在の城島さんは、長寿番組の出演者として知られていますが、その地位を最初から約束されていたわけではありません。
平家派での活動、山口さんとのバンド、TOKIOの結成、そしてCDデビュー。さまざまな経験を重ねてもなお、仕事が安定しない時期を過ごしたことが、後年の堅実な仕事ぶりにもつながっているのではないでしょうか。
【若い頃はイケメン?】10代・20代の城島茂と現在の変化を比較
若い頃の写真が再注目される理由
城島茂さんについて検索すると、「若い頃がイケメン」「昔は美少年だった」といった話題を目にすることがあります。
実際、1994年のTOKIOデビュー当時の写真や、ジャニーズJr.として活動していた頃の姿を振り返ると、現在の親しみやすい印象とは違ったアイドルらしい雰囲気が感じられます。
2021年の『RIDE ON TIME』では、城島さん自身が若い頃の写真を見て懐かしむ様子が紹介されました。
「かわいいなぁ」
これは、当時の写真を見た城島さん自身の反応として紹介された言葉です。
また、株式会社TOKIOが公開した1994年の写真も、若い頃のメンバーを知る資料として注目されました。
若い頃のイケメン評判は、こうした過去の写真を見たファンの感想とも結びついています。ただし、人気投票や客観的なランキングによって評価が確定しているわけではありません。
若い頃から現在までの変化を比較
城島さんの印象の変化を整理すると、次のようになります。
10代:少年隊に憧れて芸能界に入り、平家派で経験を積んでいた時期。アイドルとしての基礎を学んでいました。
20代:TOKIOのギタリスト兼リーダーとして活動。音楽活動に加えて、バラエティー番組やドラマなどにも活躍の幅を広げていきました。
30代〜40代:『ザ!鉄腕!DASH!!』などを通じて、農業やものづくりにも真剣に取り組む姿が定着。親しみやすいリーダーとして幅広い世代に知られるようになりました。
50代:番組出演やラジオなどの芸能活動を続けながら、会社経営や地域活動にも取り組むようになりました。
若い頃はアイドルとしてのビジュアルや音楽活動が注目の中心でしたが、現在は経験に裏打ちされた落ち着きや現場での対応力が大きな魅力になっています。
特に農業や地域の人々との交流を大切にする姿勢は、TOKIO時代から積み重ねてきた経験と切り離せません。
【2026年最新】城島茂の現在は?城島ファーム代表と鉄腕DASH出演継続
2025年6月、TOKIOが解散
長年リーダーを務めたTOKIOは、2025年6月25日にグループとしての解散を発表しました。31年にわたる活動に一区切りをつけることになりました。
その後、城島さんは所属や活動の形を見直し、2025年末にはSTARTO ENTERTAINMENTとの契約期間を満了。2026年からは新たな体制で活動を続けています。
2026年1月1日に株式会社城島ファームを設立
城島さんは2026年1月1日、株式会社城島ファームを創業し、代表取締役に就任しました。
1月5日には公式サイトを開設。会社のコンセプトとして掲げたのは「今日を耕し、明日を育てる。」という言葉です。
公式サイトに記載されている主な事業は次の4分野です。
- 芸能活動
- 講演・教育連携
- EC・地域連携事業
- 社会的連携・プロジェクト推進
農福連携や地域課題の解決、事業承継支援なども事業内容に含まれています。
これは単に芸能活動のための個人会社を設立したというだけではなく、これまでテレビ番組などで培ってきた経験を、教育や地域社会の取り組みに生かしていく方向性を示したものです。
2026年2月、『ザ!鉄腕!DASH!!』出演継続を正式表明
2026年の城島さんの活動を語るうえで大きなニュースとなったのが、『ザ!鉄腕!DASH!!』への出演継続です。
2026年2月15日、城島ファームの公式サイトで、城島さんは番組出演を継続する決断を発表しました。
背景には、同番組が約30年にわたって果たしてきた役割や、番組を通じて出会った人々への思いがありました。
特に、DASH村で農業の知恵を教えた故・三瓶明雄さんについて触れ、番組を通じて受け継いできた知恵を次の世代へつないでいくことへの責任を語っています。
「この思いのもと、城島茂は今後も『ザ!鉄腕!DASH!!』への出演を継続する決断をいたしました。」
株式会社城島ファームの2026年2月15日付の公式発表より。
なお、同番組をめぐっては、国分太一さんが2025年6月に降板し、松岡昌宏さんも2026年2月13日に降板の意向を表明しました。城島さんは出演継続を選択しており、メンバーそれぞれが異なる道を歩むことになっています。
2026年現在のテレビ・ラジオ出演情報
2026年11月時点で、城島ファームの公式サイトに掲載されている城島さんの主な出演情報は次のとおりです。
- テレビ:『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)
- テレビ:『らくらく茂』(ABCテレビ)
- テレビ:『リーダーズサーチ 街でウワサの匠さん』(テレビ朝日系)
- ラジオ:『アッパレやってまーす!』(MBSラジオ)
このほか、講演活動や地域連携プロジェクトなどにも取り組んでいます。
2026年11月17日には56歳の誕生日を迎える城島さん。TOKIOというグループの枠を離れた現在も、芸能活動と社会的な取り組みの両方を続けています。
【プロの結論】城島茂の若い頃から見える、長く活躍できる理由
城島茂さんの経歴を振り返ると、単に「若い頃はイケメンだった」という話だけでは説明できない魅力が見えてきます。
注目したいのは、環境に合わせて自分の役割を変えてきたことです。
少年隊に憧れてジャニーズ事務所に入った10代。ダンスが得意ではないなかでギターを習得し、山口達也さんとバンドを組んだ10代後半。さらにTOKIOのリーダーとして、音楽だけでなくメンバーの活動を支える役割も担うようになりました。
そして『ザ!鉄腕!DASH!!』では、農業や地域の人々との交流を通じて、アイドルという枠を超えた活動を見せてきました。
この変化は、単なるキャラクター変更ではありません。自分ができることを見つけ、周囲との関係のなかで役割を広げてきた結果です。
2026年に設立した城島ファームも、その延長線上にある取り組みと考えられます。
城島さんの歩みから読み取れるのは、若い頃の成功や外見だけが長期的なキャリアを決めるわけではないということです。得意分野を見つけ、現場で経験を積み、長く続けてきた仕事を次の世代へつないでいく。その積み重ねこそが、現在の城島茂さんを形づくっています。
【城島茂の若い頃】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:城島茂がジャニーズ事務所に入った理由は何ですか?
A1:1985年、14歳のときにテレビで見た少年隊に憧れたことがきっかけです。芸能界を目指して履歴書を送り、1986年に高校1年生で入所しました。
Q2:城島茂は若い頃、光GENJIのバックダンサーだったのですか?
A2:はい。光GENJIのバックダンサーグループである平家派に所属していました。その後、山口達也さんと城島茂バンドを結成し、バックミュージシャンとしても活動しました。
Q3:城島茂が栄養失調になったのは何歳の頃ですか?
A3:19歳の頃です。ジャニーズ事務所に所属していたものの仕事が少なく、栄養失調と診断されたエピソードが『TOKIOカケル』で紹介されています。
Q4:城島茂は何歳でTOKIOとしてデビューしましたか?
A4:23歳です。1994年9月21日にシングル「LOVE YOU ONLY」を発売し、CDデビューしました。
Q5:2026年現在、城島茂は何歳で何をしていますか?
A5:2026年11月3日時点で55歳です。株式会社城島ファームの代表取締役を務め、テレビやラジオへの出演、講演、地域連携事業などを展開しています。
Q6:城島茂は2026年も『ザ!鉄腕!DASH!!』に出演していますか?
A6:はい。2026年2月15日に自身の会社の公式サイトで出演継続を表明しました。番組への長年の思いや、DASH村で学んだ知恵を次世代につなぎたいという考えを明らかにしています。
まとめ:城島茂の若い頃は努力と挑戦の連続だった
城島茂さんの若い頃は、少年隊への憧れから始まったアイドルへの道でした。
15歳でジャニーズ事務所に入所し、平家派として光GENJIのバックダンサーを経験。その後、山口達也さんとの城島茂バンドを経てTOKIOを結成し、23歳で「LOVE YOU ONLY」のCDデビューを果たしました。
一方で、19歳の頃には仕事がなく栄養失調になるほど厳しい生活を経験。華やかなアイドルのイメージとは異なる、長い下積み時代がありました。
2025年のTOKIO解散を経て、2026年には株式会社城島ファームを設立。代表取締役として新しい活動を始めながら、『ザ!鉄腕!DASH!!』への出演も継続しています。
若い頃の写真に残るアイドルらしい姿と、現在の落ち着いたリーダーとしての姿。その両方を知ることで、城島茂さんが歩んできた長いキャリアの奥深さが見えてきます。これからは芸能活動に加え、地域や次世代に向けた取り組みでどのような新しい姿を見せてくれるのかにも注目です。
(出典: 城島 茂 若い 頃(Yahoo!ニュース))