2026年11月現在、元読売ジャイアンツのドラフト1位投手・辻内崇伸さんは、秋田県の警備会社「ALSOK秋田」で働いています。大阪桐蔭高校時代に最速156キロを記録し、甲子園で1試合19奪三振を達成した左腕は、プロ入り後に肩や肘の故障に苦しみ、2013年に現役引退を決断しました。その後、女子プロ野球の指導者を経験し、2019年からは秋田で現金輸送業務に従事しています。
さらに、2025年8月にはABEMAの密着企画で離婚を初告白。2026年3月にはBS-TBSのドキュメンタリー番組「プロ野球 SECOND LIFE」にも登場し、現役時代とは異なる生活が紹介されました。現在の仕事、秋田移住の経緯、結婚や子供、離婚理由まで、これまでの歩みを時系列で整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 現在:2019年からALSOK秋田に勤務。警送隊で現金輸送業務を担当している。
- 野球人生:大阪桐蔭で156キロ、19奪三振を記録。巨人では8年間プレーしたが、一軍公式戦登板はなかった。
- 家族:2012年に結婚し、子供は2人。2025年に離婚したことを本人が公表している。
【2026年最新】辻内崇伸の現在はALSOK秋田の警送隊!仕事の実態とは
辻内崇伸さんの現在の職業は、プロ野球の指導者でも野球解説者でもありません。秋田県秋田市に本社を置くALSOK秋田株式会社の社員として、警送隊で働いています。
ALSOK秋田の公式採用サイトには、本人のスタッフインタビューが掲載されています。そこには、2019年入社、警送隊所属という経歴が明記されています。
現金輸送業務を担当する毎日
警送隊の仕事は、現金や貴重品を安全に運搬することです。ALSOK秋田の公式インタビューによると、現金輸送車には2人組で乗車し、周囲を警戒しながら業務を行います。
具体的には、次のような業務を担当しています。
- 現金輸送車による現金・貴重品の運搬
- 輸送中の周囲の安全確認と警戒
- ATMへの現金装填作業
- 貴重品運搬に関する業務
2026年3月23日のスポニチの報道では、1日に約25件の現金輸送を担当していると紹介されました。本人も、いつ襲われるか分からない仕事だからこそ、緊張感を持って警戒していると語っています。
2026年3月「プロ野球 SECOND LIFE」に出演
2026年3月19日、ALSOKは辻内さんがBS-TBSのドキュメンタリー番組「プロ野球 SECOND LIFE」に出演すると公式発表しました。
放送は2026年3月22日午後7時から。同番組は、プロ野球選手の引退後の人生に焦点を当てた企画で、辻内さんについては警備会社での仕事や同僚との関係などが取り上げられました。
2025年のABEMAに続き、2026年にも引退後の生活がテレビで紹介されたことは、彼のセカンドキャリアを知るうえで大きな節目です。
2026年11月時点で確認できる公開情報では、ALSOK秋田での勤務が現在の主な仕事です。かつての甲子園スターという肩書きよりも、一人の会社員として地域の安全を支える姿が印象的です。
【大阪桐蔭時代】156キロと甲子園19奪三振!巨人ドラフト1位への道
辻内崇伸さんは1987年12月5日生まれ、奈良県出身。左投左打の投手として、大阪桐蔭高校で全国的な注目を集めました。
高校時代の代表的な実績は、2005年夏の甲子園です。最速156キロの速球を武器に、大阪桐蔭をベスト4へ導きました。
藤代戦で大会タイ記録の19奪三振
特に大きなインパクトを残したのが、茨城県代表の藤代高校との試合です。
辻内さんはこの試合で1試合19奪三振を記録。当時の大会タイ記録に並びました。150キロを超える左腕というだけでも珍しい存在でしたが、三振を奪う能力も際立っていました。
同じ大阪桐蔭には、後に中日などで活躍する平田良介さんも在籍。2学年下には中田翔さんがいました。強豪校の中心選手として、全国の野球ファンから期待を集めていた時期です。
2005年高校生ドラフトで巨人とオリックスが競合
甲子園での活躍によって、辻内さんは2005年の高校生ドラフト最大級の注目選手となりました。
読売ジャイアンツとオリックス・バファローズが1位指名し、抽選の結果、巨人が交渉権を獲得。将来のエース候補として大きな期待を背負い、プロの世界へ進みました。
しかし、プロ入り後に待っていたのは、甲子園での輝かしい実績からは想像しにくい長い故障との戦いでした。
【引退理由】なぜ巨人で一軍登板できなかった?肩と肘の故障を時系列で解説
辻内さんのプロ野球人生を振り返るうえで避けて通れないのが、左肩と左肘の故障です。
2005年のドラフト1位入団から2013年の引退まで、巨人に在籍した期間は8年間。しかし、一軍公式戦のマウンドに立つことは一度もありませんでした。
故障はプロ入り前から始まっていた
2013年のスポーツインタビューで、辻内さんは最初に肩の痛みを感じた時期について、高校2年生の夏だったと振り返っています。
大阪府大会で連投した際に左肩を痛め、その後も痛みを抱えながら投球を続けていました。高校3年時には大きな痛みを感じずに投げられた時期もありましたが、プロ入り後に再び不調が表面化します。
2007年に左肘の靱帯再建手術
大きな転機となったのが2007年です。左肘の内側側副靱帯を損傷し、再建手術を受けました。
いわゆるトミー・ジョン手術で、復帰までには1年以上のリハビリが必要になりました。
投手にとって肘の靱帯は投球動作を支える重要な部分です。手術後に競技復帰できたとしても、以前と同じ状態で投げられるとは限りません。
辻内さんも長いリハビリを続けましたが、完全に故障から解放されることはありませんでした。
2012年に一軍登録も登板機会なし
2012年には二軍で43試合に登板し、防御率2.60を記録。8月にはプロ入り後初めて一軍登録を経験しました。
しかし、登板機会を得られないまま登録抹消となります。ようやく一軍に近づいたと思われた矢先、再び壁にぶつかりました。
2013年3月の手術と10月の戦力外通告
2013年は勝負のシーズンでしたが、春季キャンプ中に左肘を痛め、3月には遊離軟骨を除去する手術を受けました。
復帰に向けたリハビリを続けたものの、実戦復帰には至りませんでした。
そして2013年10月1日、巨人から来季の契約を結ばないと通告されます。
当時の報道によると、辻内さんは巨人以外の球団でプレーする考えを持っていませんでした。故障のケアや海外ウインターリーグへの派遣など、長年支えてくれた球団への感謝もあり、現役引退を決断しました。
「あの痛み、苦しみから解放されるという意味ではホッとしています」
これは2013年11月のスポーツインタビューで語った言葉です。プロとして一度も一軍公式戦で投げられなかった悔しさと、長年の痛みから解放される安堵。その両方が伝わる発言でした。
なお、引退年については、2013年10月の戦力外通告と引退決断を伝える当時の報道がある一方、ALSOKの2026年の紹介文では2014年に現役引退と表記されています。2013年秋に退団が決まり、2014年から指導者として新たな道を歩み始めたという経緯を押さえておくと混乱しません。
【引退後の経歴】女子プロ野球の指導者から会社員へ!第二の人生の変遷
辻内さんは引退後、すぐに現在の警備業界へ進んだわけではありません。
当初は不動産関係の仕事を考えていましたが、女子プロ野球から指導者としてのオファーを受け、野球に携わる道を選択します。
女子プロ野球で5年間の指導経験
2014年、日本女子プロ野球リーグのイースト・アストライアで投手コーチに就任。その後、東北レイアなどでも指導に携わりました。
2017年には埼玉アストライアのヘッドコーチを務め、2018年には監督に就任しています。
指導者としての仕事は、現役時代のように自分がマウンドで結果を出すこととは異なります。選手の育成だけでなく、チーム全体の管理、試合の運営、ファンへの営業活動なども求められました。
2015年の日刊スポーツの取材では、投手コーチと営業マンの二つの役割を担っていたことが紹介されています。元ドラフト1位という肩書きに頼らず、チケットの販売や試合のPRにも取り組んでいました。
2018年12月、埼玉アストライアの監督を退任し、女子プロ野球から退団。本人は5年間の指導経験について、人生の中でも貴重な経験だったと振り返っています。
辻内崇伸の野球人生と第二の人生の年表
これまでの経歴を、関係する球団・組織とともに整理すると次のようになります。
| 時期 | 関係する人物・組織 | 主な出来事 |
|---|---|---|
| 2005年 | 大阪桐蔭高校 | 156キロ、甲子園19奪三振、夏の甲子園ベスト4 |
| 2005年 | 読売ジャイアンツ | 高校生ドラフト1位で入団決定 |
| 2007年 | 巨人 | 左肘の靱帯再建手術 |
| 2013年 | 巨人 | 左肘の手術、10月に戦力外通告、引退決断 |
| 2014年 | イースト・アストライア | 女子プロ野球の投手コーチに就任 |
| 2016年 | 東北レイア | 若手選手の育成に携わる |
| 2017~2018年 | 埼玉アストライア | ヘッドコーチ、監督を歴任。2018年に退団 |
| 2019年 | ALSOK秋田 | 秋田へ移住し、警送隊として勤務開始 |
| 2023年 | ALSOK秋田野球部 | 会社の野球部設立に関わる |
| 2025年 | ABEMA「NO MAKE」 | 離婚したことをメディアで初告白 |
| 2026年 | BS-TBS「プロ野球 SECOND LIFE」 | 警備会社で働く現在の姿が紹介される |
この年表から分かるのは、辻内さんのセカンドキャリアが単純な転職ではなかったということです。野球の指導者、営業職、警備会社の社員という複数の役割を経験しながら、生活の基盤を築いてきました。
【秋田移住の経緯】なぜ妻の実家がある秋田へ?ALSOK秋田に入社した理由
辻内さんが秋田県へ移住したのは、2018年の女子プロ野球退団後です。移住先に選んだのは、当時の妻の実家がある秋田市でした。
2024年5月のNumber Webのインタビューによると、移住を決めた理由は、妻と2人の子供と過ごす時間を大切にしたかったからです。
ハローワークで自分自身の仕事を探した
秋田へ移った当初、辻内さんには具体的な就職先が決まっていたわけではありませんでした。
知り合いも仕事のあてもない状態で、市内のハローワークに通い、自分で求人を探しました。
最初はスポーツ関係の仕事を調べていたものの、目に留まったのがALSOKの現金輸送業務でした。
これまで経験したことのない仕事に挑戦したいという思いもあり、応募を決めたといいます。
履歴書の「大阪桐蔭高校」「巨人軍」に驚いた採用側
ALSOK秋田の採用面接では、履歴書に書かれた経歴が話題になりました。
大阪桐蔭高校、読売ジャイアンツという文字を見た会社側は、あの辻内なのかと驚いたと、2023年のMBSの取材で紹介されています。
ALSOK秋田の辻本光雄社長も、最初は本人かどうか驚いたものの、面接で話を聞き、秋田で一から出直したいという本人の意向を受け止めたと語っています。
入社後は元プロ野球選手という特別な扱いを受けるのではなく、一般社員として仕事を覚えていきました。
会社の野球部を立ち上げ、再び野球とつながる
ALSOK秋田で働くようになった辻内さんは、野球との関係を完全に断ったわけではありません。
2023年のMBSの報道では、会社に野球部を作りたいと社長に相談し、社内野球部が発足したことが紹介されています。
メンバーは15人で、野球未経験者も半数ほどいました。野球経験者だけを集めたチームではなく、社員同士が一緒に楽しめる場としてスタートしています。
本人が掲げたのは、もう一度楽しい野球をしたいという思いでした。メンバーからも、野球の楽しさを伝える指導が印象的だと評価されています。
現役時代のように自分が投げて勝つことだけが野球ではない。経験を伝え、仲間と一緒に楽しむことも野球との関わり方だと示しています。
【結婚・妻・子供】2012年の結婚から2025年の離婚までを整理
辻内さんの家族については、現役時代から報道されてきました。2012年12月に結婚し、2人の子供を育てていたことが、過去のインタビューや報道で明らかになっています。
2012年12月に結婚、引退時には第一子を迎える時期だった
辻内さんは巨人に在籍していた2012年12月に結婚しました。
2013年の現役引退時には、妻が第一子の出産を控えていました。戦力外通告を受けた後も、家族を支えるために新しい仕事を探す必要がありました。
2018年の東洋経済オンラインのインタビューでは、妻と娘が秋田の実家に移っていた時期の生活や、家族と過ごす時間を大切にしたいという思いも語られています。
その後、Number Webの2024年の取材では、妻と2人の子供との生活について紹介されました。
2019年の秋田移住は家族との時間を大切にするため
秋田移住は、妻の実家がある地域で家族と暮らすための決断でした。
当時の辻内さんは、女子プロ野球の指導者を退任し、次の仕事を探していた時期です。野球界に残ることだけを優先せず、家族の生活を軸に新しい仕事を探したことが、ALSOK秋田への入社につながりました。
2025年8月、ABEMAで離婚を初告白
辻内さんの家族に関する大きな変化が明らかになったのは、2025年8月です。
ABEMAの密着企画「NO MAKE」は、2025年8月4日に辻内さんの離婚に関する記事を公開し、番組は8月9日に放送されました。
番組では、元妻との関係が終わったことを本人が初めて明かしました。野球人生を支え、秋田移住のきっかけにもなったパートナーとの別れは、視聴者にとっても大きなニュースとなりました。
さらに2026年3月23日のスポニチの報道でも、秋田移住のきっかけとなった妻とは前年に離婚したと説明されています。つまり、離婚した年は2025年です。
辻内崇伸の離婚理由は?公表された情報から分かること
気になる離婚理由については、本人が離婚した事実や元妻との関係について語った一方、具体的な原因や夫婦間で何が起きたのかについて、詳しい説明は公表されていません。
ABEMAの番組では、元妻との関係について「絶縁というか、縁を切らせてもらって」という趣旨の発言も紹介されています。
ただし、この言葉だけから離婚の原因を特定することはできません。
仕事の忙しさ、秋田移住、生活環境の変化などを離婚の直接的な理由とする確かな説明もありません。夫婦のどちらかに責任があったと決めつけることもできない状況です。
また、子供2人の親権や現在の居住先、離婚後の交流についても、詳しい公表情報はありません。
2026年3月のスポニチの取材では、辻内さんは一人で暮らす生活について、時間が経過して少しずつ慣れてきたと話しています。以前は帰宅すると食事が用意されていた生活から、自分で食事を用意する生活へと変化したことも紹介されました。
離婚後も秋田に残っている理由については、職場の同僚たちが元プロ野球選手として特別扱いせず、普通の社員として接してくれることが大きいと説明されています。
【プロの結論】辻内崇伸のセカンドキャリアから見える本当の価値
辻内さんの経歴を追うと、甲子園のスターが警備員になったという肩書きの変化だけでは説明できないものが見えてきます。
注目したいのは、野球を続けることと、野球選手であり続けることを分けて考えた点です。
野球を離れても、経験は仕事に生かせる
プロ野球選手としてのキャリアは、故障によって思い描いた形では終わりませんでした。
しかし、リハビリを続けた経験、目標に向かって努力する姿勢、チームで仕事をする意識は、警備会社の仕事でも生かせる部分があります。
現金輸送は、個人の判断だけでなく、同僚との連携や安全確認が欠かせない仕事です。元投手として培った集中力や責任感を、異なる職場で生かしている姿は、セカンドキャリアの一つの形です。
女子プロ野球の指導経験も無駄になっていない
女子プロ野球での5年間は、単なる引退後の仕事ではありませんでした。
選手の育成、営業活動、監督としてのチーム運営を経験したことで、現役時代にはなかった視点を身につけています。
その経験は、ALSOK秋田の野球部で社員を指導する際にもつながっています。
2023年のMBSの取材では、野球未経験者もいるチームに対し、勝つことだけでなく野球を楽しむことを伝えようとする姿が紹介されました。
「元巨人ドラフト1位」という肩書きに依存しない生き方
Number Webの2024年のインタビューでは、辻内さんが現在の職場で特別扱いされないことを喜び、普通の人として働けることがうれしいという趣旨の話をしています。
この姿勢は、引退後のキャリアを考えるうえで重要です。
プロスポーツ選手の引退後は、現役時代の知名度や実績がそのまま転職市場で評価されるとは限りません。競技で培った能力を、新しい仕事でどのように生かすかが問われます。
辻内さんの場合、女子プロ野球の指導者という野球界での仕事を経たうえで、一般企業の社員として新しい職業に挑戦しました。さらに会社の野球部を通じて、地域や職場に野球の楽しさを還元しています。
辻内崇伸さんの第二の人生の本質は、野球を完全に捨てたことではなく、野球選手という肩書きがなくても、自分の経験を生かせる場所を見つけたことにあります。
辻内崇伸の現在・結婚・離婚に関するよくある質問(FAQ)
Q1:辻内崇伸は2026年現在、何の仕事をしていますか? A1:ALSOK秋田株式会社の警送隊で働いています。現金輸送車による現金・貴重品の運搬やATMへの現金装填などを担当しています。
Q2:辻内崇伸の引退理由は何ですか? A2:高校時代から続いていた左肩や左肘の故障が大きな理由です。2007年に左肘の靱帯再建手術を受け、2013年にも手術を経験。巨人で一軍公式戦に登板できないまま戦力外通告を受け、引退を決断しました。
Q3:辻内崇伸は結婚していましたか?子供は何人いますか? A3:2012年12月に結婚し、子供は2人です。2019年には妻の実家がある秋田県へ移住しましたが、2025年に離婚したことを本人が公表しています。子供の現在の生活状況や親権については詳しい情報が公表されていません。
まとめ:辻内崇伸の現在は秋田で働く会社員、野球への情熱も継続
辻内崇伸さんは、大阪桐蔭高校時代に156キロと19奪三振を記録し、2005年の高校生ドラフト1位で巨人に入団した元左腕です。
しかし、左肩と左肘の故障に苦しみ、2013年に現役引退を決断。その後は女子プロ野球の指導者を5年間経験し、2019年からALSOK秋田で現金輸送の仕事に取り組んでいます。
家族については、2012年の結婚、2人の子供、2019年の秋田移住を経て、2025年に離婚したことが明らかになりました。離婚の具体的な理由や子供たちの現在については、公表されている情報の範囲を超えて断定できません。
2026年3月には「プロ野球 SECOND LIFE」に出演し、引退後の仕事や職場での姿が改めて紹介されました。
甲子園で脚光を浴びた時代、故障に苦しんだ巨人時代、女子プロ野球での指導者時代、そして秋田での会社員生活。辻内さんの歩みは、競技人生が終わっても人の人生は続いていくことを伝えています。
これからもALSOK秋田での仕事と野球部での活動を通じて、どのような新しい役割を築いていくのか。その歩みは、プロ野球選手の引退後を考えるうえでも注目されます。 (出典: 辻内 崇 伸(Yahoo!ニュース))