近藤等則(こんどう・としのり)は、日本のフリージャズとエレクトリック・ミュージックの可能性を世界に示したトランペット奏者、音楽プロデューサーである。京都大学卒業後にニューヨークへ渡り、ジョン・ゾーンやビル・ラズウェルら海外の実験的音楽家と交流。1984年にはバンド「IMA(International Music Activities)」を結成し、ジャズ、ファンク、ロック、日本の伝統音楽を融合させた独自のサウンドを生み出した。
その後、1993年に活動拠点をオランダ・アムステルダムへ移し、大自然の中で即興演奏を行う「地球を吹く」プロジェクトを開始。2013年にはドキュメンタリー映画『地球を吹く in Japan』を完成させた。2020年10月17日、71歳で逝去。2026年現在、本人の新たな演奏活動はないが、音源、映像、著書を通じて、その革新的な音楽と思想は受け継がれている。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- プロフィール:1948年12月15日、愛媛県今治市生まれ。京都大学文学部を卒業した世界的トランペット奏者。
- 音楽活動:1978年のニューヨーク進出、1984年のIMA結成、1993年からの「地球を吹く」プロジェクトが大きな転換点。
- 逝去と現在:2020年10月17日に71歳で逝去。2026年現在も『大変』『地球を吹く in Japan』『いのちは即興だ』などが重要な遺産として残る。
【プロフィール】近藤等則とは何者?京都大学卒業から音楽家への転身
近藤等則は、1948年12月15日に愛媛県今治市で生まれた。中学1年生のときにブラスバンド部でトランペットと出会い、今治西高校でも演奏を続けた。
音楽家としての出発点は、いわゆるジャズの名門音楽教育ではない。学生時代に自らジャズへ傾倒し、既存の演奏スタイルに収まらない表現を模索したことが、後年の独創的な音楽につながっている。
京都大学では工学部から文学部へ
1967年、近藤は京都大学工学部に入学した。大学ではモダンジャズ・クラブに所属し、本格的にジャズ演奏を始めている。
その後、文学部英米文学科へ移り、1972年3月に卒業。卒業と同時に京都を離れ、打楽器奏者の土取利行とともに東京へ移住した。
京都大学の広報誌に掲載された本人の回想からは、大学時代に音楽家として生きる決意を固めていった経緯が読み取れる。工学部で学びながらも、本人の関心は次第に音楽へ向かっていった。
フリージャズとの出会いと東京での活動
1972年以降、近藤は東京のライブシーンでフリージャズを中心に活動を展開する。山下洋輔、浅川マキらとの共演を重ね、1973年には梅津和時、土取利行らと近藤俊則トリオを結成した。
1975年には、フリージャズからフリー・インプロヴィゼーションへと活動の幅を広げる自主的な音楽集団「エボルーション・アンサンブル・ユニティ(EEU)」を結成。楽譜や既存の演奏形式に縛られない即興表現を追求した。
近藤の音楽的な特徴は、単に自由に音を出すことではない。演奏者同士の反応、音の偶然性、身体感覚、空間の響きを取り込みながら、その場で音楽を組み立てていく姿勢にあった。
【ニューヨーク時代】ジョン・ゾーンやビル・ラズウェルとの共演
近藤等則の国際的なキャリアを語るうえで、1978年のニューヨーク進出は欠かせない。日本国内のジャズシーンで経験を積んだ近藤は、同年9月にニューヨークへ渡り、翌1979年8月まで現地を拠点に活動した。
当時のニューヨークには、ジャズの伝統を踏まえながら、ロック、ノイズ、即興音楽、現代音楽を横断する実験的な音楽家たちが集まっていた。いわゆるダウンタウン・シーンである。
ジョン・ゾーンとの交流
近藤は、サックス奏者・作曲家のジョン・ゾーンらと交流し、ユージン・チャドボーン、ポリー・ブラッドフィールドらと「400 Statues」を結成した。
さらに、ミルフォード・グレイヴスらとの演奏や、フレッド・フリス、スティーヴ・ベレスフォードらとの即興音楽にも参加。ジャンルや国籍を超えたセッションを重ねていった。
この時期の重要性は、海外の著名ミュージシャンと共演したという実績だけではない。近藤自身が、日本のジャズの延長線上ではない、新しい音楽を作るための刺激と仲間を得たことにある。
ビル・ラズウェルとの関係
ベーシスト、プロデューサーとして知られるビル・ラズウェルも、近藤の音楽人生に深く関わった人物だ。
近藤の自筆履歴書によれば、1980年にはフレッド・フリス、ヘンリー・カイザー、ビル・ラズウェルらとニューヨークでロックのセッションを行っている。
ラズウェルは、既存のジャンルを解体し、ファンク、ダブ、ロック、電子音楽を組み合わせる音楽家として知られる。即興性を重視する近藤との相性はよく、その後も作品制作やユニット活動で関係が続いた。
近藤は2004年のジャパンタイムズのインタビューで、アメリカへ渡った理由について、国際的な音楽家と演奏したかったからだと説明している。さらに、ほかの日本人ジャズ奏者のようにジャズを模倣するのではなく、自分自身の音楽を作りたかったという趣旨を語った。
この姿勢こそ、ニューヨークでの活動を通じて近藤が確立した音楽的な方向性だった。
【IMAの結成】1984年の『大変』から1993年の解散まで
1980年代の近藤等則を象徴する存在が、バンド「IMA(International Music Activities)」である。
近藤は1982年に東京でIMAレーベルを設立し、1984年には東京でIMAバンドを結成した。海外のミュージシャンとの活動を経験した近藤が、日本人メンバーを中心に世界へ向けて発信するバンドを作ったのである。
IMAのメンバーと音楽的な特徴
代表的なメンバーには、近藤等則(トランペット、ボーカル)、酒井泰三(ギター)、富樫春生(キーボード)、RECK(ベース)、山木秀夫(ドラム)がいる。
その音楽は、従来のジャズバンドとは大きく異なっていた。フリージャズの即興性を基礎に、ロック、ファンク、パンク、エレクトロニック・ミュージック、日本の民俗音楽などを大胆に取り込んでいる。
1984年発表のアルバム『大変』は、その方向性を示す重要作品だ。和太鼓を思わせるリズムやファンキーなグルーヴ、強烈なトランペットが共存し、近藤独自の音楽世界を提示した。
続く『METAL POSITION』(1985年)などの作品でも、バンドの実験性は発展していった。IMAは国内外のライブや音楽フェスティバルに出演し、広告音楽などを通じても広く知られるようになった。
近藤等則の経歴と関係者・作品を年表で整理
| 時期 | 人物・作品・活動 | 主な関係・意味 |
|---|---|---|
| 1972年 | 京都大学卒業 | 土取利行と上京し、フリージャズの道へ進む。 |
| 1978~1979年 | ニューヨークで活動 | ジョン・ゾーン、ユージン・チャドボーンらと実験音楽を展開。 |
| 1980年以降 | ビル・ラズウェルとの交流 | フレッド・フリスらを含むロック・セッションや作品制作で協働。 |
| 1984年 | IMA結成・『大変』発表 | 日本発の国際的なフリー・ファンク/エレクトリック・フュージョンを展開。 |
| 1993年 | IMA解散・アムステルダムへ移住 | 「地球を吹く」プロジェクトを本格的に追究。 |
| 2007年 | 「地球を吹く in Japan」開始 | 日本各地の自然環境で即興演奏を行う。 |
| 2013年 | 映画『地球を吹く in Japan』完成 | 本人が監督・作曲・演奏を担当。 |
| 2018~2020年 | KONDO IMA21 | IMAの25年ぶりの再始動とライブアルバムの発表。 |
| 2020年10月17日 | 逝去 | 71歳。家族が公式に発表。 |
1993年、人気絶頂期のIMAを解散
IMAは1993年に解散した。バンドは国内外で活動し、近藤自身も知名度と実績を積み重ねていたが、彼は新しい方向へ進むことを選んだ。
それが、オランダ・アムステルダムへの移住と「地球を吹く」プロジェクトだった。
近藤は80年代のIMAについて、フリージャズ、ファンク、パンク、ロック、日本の民俗音楽など、20世紀の音楽的要素を日本人として統合する挑戦だったと振り返っている。IMAは単なるバンドではなく、彼が一つの時代に対して提示した音楽的な回答でもあった。
【地球を吹く】近藤等則のライフワークと映画『地球を吹く in Japan』
近藤等則の後半生を理解するためには、「地球を吹く(Blow the Earth)」というプロジェクトを知る必要がある。
1993年、アムステルダムへ活動拠点を移した近藤は、世界各地の大自然を舞台にエレクトリック・トランペットの即興演奏を始めた。
砂漠、アンデス、ヒマラヤで演奏する理由
一般的なライブは、観客、ステージ、照明、音響設備などによって成立する。しかし、近藤の「地球を吹く」は、その前提を取り払った試みだった。
イスラエルのネゲブ砂漠、ペルーのアンデス山脈、ヒマラヤのラダック、沖縄の久高島、アラスカのマッキンレーなど、世界各地の自然環境に身を置き、その場で感じた空気や振動を音に変えていく。
近藤はインタビューで、この活動について、人のいない大自然にエレクトリック・トランペットのシステムを持ち込み、自然のバイブレーションを感じながら即興演奏するものだと説明している。
観客は必ずしも人間である必要はない。空、海、山そのものが演奏を受け止める存在になるという発想だった。
2007年に始まった「地球を吹く in Japan」
2007年、近藤は日本列島の自然を舞台にした「地球を吹く in Japan」を開始した。
2007年夏から2011年秋にかけて、沖縄、熊野、阿蘇、月山、富士山麓など、各地の自然環境で演奏を行った。季節や土地の違いを音楽に反映させる取り組みであり、スタジオで完成された楽曲を再現する演奏とは根本的に異なる。
2013年のドキュメンタリー映画
このプロジェクトの成果を映像として残したのが、2013年に完成したドキュメンタリー映画『地球を吹く in Japan』である。
映画は約85分。近藤自身がプロデューサー、監督、作曲、演奏を担当した。単なる演奏記録ではなく、日本各地の自然と向き合う音楽家の姿を映像として記録した作品だ。
映画の特徴は、トランペットの音と自然の風景を切り離さずに捉えている点にある。通常の音楽ドキュメンタリーがアーティストの経歴やステージ上の演奏に焦点を当てるのに対し、本作では土地そのものが重要な表現要素となっている。
近藤にとって「地球を吹く」は、音楽活動の一企画ではなかった。音楽家としての生き方そのものを変えたライフワークだったのである。
【晩年と逝去】2020年10月17日、そして2026年に残る作品
2012年1月、近藤は約18年間活動拠点としていたアムステルダムを離れ、日本へ拠点を戻した。
帰国後も演奏活動や音楽制作を続け、広島・厳島神社での世界平和をテーマにした音楽祭、奈良・東大寺での東日本大震災犠牲者の追悼演奏など、音楽を社会や自然と結びつける活動に取り組んだ。
25年ぶりのIMA再始動「KONDO IMA21」
2018年、近藤はIMAの再始動ともいえる新バンド「KONDO IMA21」を立ち上げた。
オリジナルのIMA解散から約25年を経ての再集結だった。2019年7月にはフジロック・フェスティバルにも出演。近藤等則、山木秀夫、富樫春生、酒井泰三、Kakueiらが参加し、エレクトリック・トランペットを中心とした演奏を披露した。
2019年11月の東京公演は、2020年にライブアルバム『KONDO IMA21 LIVE / Typhoon 19』として作品化された。
また、近藤は晩年までTKRecordingsを通じて作品を発表し、2020年には新型コロナウイルスの感染拡大を背景とした音楽シリーズ『Beyond Corona』にも取り組んでいた。
亡くなる直前まで演奏活動を続けていたことは、近藤の音楽人生を象徴する出来事の一つだ。
2020年10月17日、71歳で逝去
近藤等則は、2020年10月17日夜、71歳で逝去した。
翌18日、長男の近藤空太さんと次男の近藤陽太さんが連名で公式ホームページを通じて訃報を発表した。
家族の発表によると、近藤は亡くなった当日の夜、大阪で画家の黒田征太郎、ドラマーの中村達也とライブペインティングで共演することを楽しみにしていたという。葬儀は家族葬で執り行われた。
亡くなる2日前まで無観客ライブを行っていたことも、楽器店イケベの追悼記事で紹介されている。ステージで演奏することを生涯の中心に置いていた近藤にとって、最後まで音楽は現在進行形の営みだった。
なお、家族による訃報発表では死因は公表されていない。
2026年現在、近藤等則の音楽はどこに残っている?
2026年11月現在、近藤等則本人はすでに逝去しており、新たなライブ出演や本人による音楽活動は行われていない。
しかし、彼が残した作品群は、現在も近藤の音楽を知るための重要な資料となっている。
- 『大変』(1984年):IMA時代の音楽的な方向性を知る代表的な作品。
- 『METAL POSITION』(1985年):IMAのエレクトリックな音楽性を追体験できる作品。
- 『記憶 KI-OKU』(1996年):DJ KRUSHとの共作。ジャズとクラブミュージックの接点を示す作品。
- 『The 吉原』(2003年):端唄家元・栄芝との共同制作。伝統音楽とトランスの融合を試みた作品。
- 『KONDO IMA21 LIVE / Typhoon 19』(2020年):晩年のライブ活動を記録したアルバム。
- 『地球を吹く in Japan』(2013年):自然の中で演奏する近藤の音楽思想を映像で確認できる作品。
これらの作品からは、近藤が一つのジャンルにとどまらず、音楽の可能性を生涯にわたって更新し続けたことが分かる。
『いのちは即興だ』に込められた音楽家の思想
音楽以外の遺産として注目したいのが、2008年に地湧社から出版された著書『いのちは即興だ』だ。
四六判上製、184ページの本書では、自然との共鳴、即興的な生き方、社会の枠組みに縛られない発想などが語られている。
出版社が掲載した本文抜粋には、近藤の人生観を端的に表す一節がある。
「わからないからこそ夢中になれる」
この言葉は、彼の音楽活動を理解するうえでも重要だ。演奏前にすべてを決めておくのではなく、予測できない状況に身を置き、その瞬間に生まれるものを受け入れる。
ニューヨークでの即興演奏、IMAの実験的なサウンド、そして自然の中で行った「地球を吹く」。一見異なるこれらの活動は、未知の状況に向き合う姿勢によってつながっている。
【近藤等則の作品を知る】初心者におすすめの聴き方と評価基準
近藤等則の音楽は、一般的なメロディー中心のジャズやポップスとは異なる。初めて聴く人は、作品ごとに異なる音楽性を比較すると理解しやすい。
まずはIMAの『大変』から聴く
ロックやファンクに親しんでいる人には、1984年の『大変』がおすすめだ。リズムの強さや大胆な音の組み合わせが特徴で、近藤の音楽が必ずしも難解なフリージャズだけではないことが分かる。
電子音楽としてのトランペットを知る
次に注目したいのが、近藤が長年改良を重ねたエレクトリック・トランペットのシステムだ。
マイク、プリアンプ、エフェクターなどを組み合わせ、通常のトランペットでは生み出せない音響表現を追求した。イケベ楽器店の追悼資料には、2000年代以降の機材構築に関する記録も残されている。
トランペットの音色が電子的に変化し、ノイズやアンビエント、トランスに接近していく過程を聴くと、近藤がなぜエレクトリック・トランペッターと呼ばれたのかが理解できる。
音楽思想を知りたいなら映画と著書
演奏だけでなく近藤の人生観に興味がある人には、『地球を吹く in Japan』と『いのちは即興だ』の組み合わせが適している。
映画では、自然環境と演奏がどのように結びつくのかを映像で体験できる。一方、著書では、即興という考え方が音楽だけでなく日常の生き方にも広がっていることが分かる。
作品を選ぶ際のポイントは、近藤の音楽を一つのジャンルに限定しないことだ。ジャズ奏者としての姿、バンドリーダーとしての姿、自然と向き合う表現者としての姿を、それぞれ別の入口から知ることで全体像が見えてくる。
【近藤等則に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:近藤等則は現在も生きていますか?
A1:いいえ。近藤等則は2020年10月17日夜に71歳で逝去しました。2026年現在は、残された音源、映像、著書などを通じて活動の足跡をたどることができます。
Q2:近藤等則は京都大学の何学部を卒業しましたか?
A2:1967年に京都大学工学部へ入学し、その後、文学部英米文学科へ移りました。1972年3月に文学部を卒業しています。
Q3:近藤等則のIMAとは何ですか?
A3:IMAはInternational Music Activitiesの略称です。1984年に東京で結成されたバンドで、近藤等則を中心にジャズ、ファンク、ロック、電子音楽などを融合した音楽を展開しました。1993年に解散しましたが、2018年にはKONDO IMA21として再始動しました。
Q4:「地球を吹く in Japan」はどのような映画ですか?
A4:近藤等則が日本各地の自然環境でエレクトリック・トランペットを即興演奏するプロジェクトを記録した2013年完成のドキュメンタリー映画です。上映時間は約85分で、近藤自身が監督、作曲、演奏を担当しました。
Q5:近藤等則の思想を知るためにおすすめの本は?
A5:2008年に出版された著書『いのちは即興だ』がおすすめです。音楽にとどまらず、自然との共鳴や自由な生き方、即興的な人生観について本人の考えを知ることができます。
まとめ:【プロの結論】近藤等則が日本の音楽史に残したもの
近藤等則の生涯を振り返ると、その音楽活動には大きく三つの転換点があった。
第一は、京都大学卒業後に東京でフリージャズの道へ進み、1978年にニューヨークへ渡ったこと。ジョン・ゾーンやビル・ラズウェルらとの交流を通じて、国際的な即興音楽の現場で独自の表現を磨いた。
第二は、1984年のIMA結成である。日本人ミュージシャンを中心に、ジャズ、ファンク、ロック、電子音楽などを融合させたサウンドを発信し、日本の音楽シーンに新しい可能性を提示した。
第三は、1993年から始まった「地球を吹く」プロジェクトだ。ステージや観客という従来のライブの枠を離れ、自然そのものと向き合う即興演奏へと表現の場を広げた。
近藤等則の最大の功績は、トランペットの演奏技術だけでなく、音楽を成立させる場所や方法そのものを問い直したことにある。
彼の音楽を知るうえで、初心者はIMAの『大変』から入り、次に『地球を吹く in Japan』、そして『いのちは即興だ』へ進むと、音楽と思想のつながりを理解しやすい。
2026年現在、近藤本人の演奏を新たに聴くことはできない。しかし、残された作品には、既存の枠組みに安住せず、未知の音を求め続けた音楽家の姿が刻まれている。
そのトランペットが示したのは、ジャンルの境界を越える自由だけではない。音楽とは何か、自然と人間はどう響き合うのか、そして自分自身の人生をどう即興的に生きるのかという、今も考える価値のある問いなのである。
主な事実確認資料: 近藤等則の自筆履歴書(JazzTokyo)、京都大学広報、みすず書房、地湧社、CDJournal、タワーレコード、日刊スポーツ、八戸ポータルミュージアム、イケベ楽器店の追悼資料など。
(出典: 近藤 等 則(Yahoo!ニュース))