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2026年11月04日 更新
Basebird 注目特集

【何があった?】1985年4月17日の阪神対巨人戦で起きた奇跡

目次
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    バックスクリーン3連発が生まれたのは、1985年4月17日の阪神甲子園球場。相手は宿敵・読売ジャイアンツだった。

    この試合は、阪神が序盤から優位に進めたわけではない。巨人は初回にウォーレン・クロマティの本塁打などで2点を先制。阪神はその裏、岡田彰布の適時打で1点を返した。

    その後は両先発が踏ん張る展開となったが、7回表に巨人が追加点を奪い、スコアは1対3。阪神にとっては、試合の流れを変える一打が必要な状況だった。

    3連発直前に起きていた重要なプレー

    バックスクリーン 3 連発
    【画像】バック スクリーン 3 連発 関連ショット

    7回裏、阪神は8番・木戸克彦がセンター前ヒットで出塁。代走として北村照文が起用された。

    続く投手の打順では代打・長崎啓二が凡退したものの、1番・真弓明信の打席で北村が二盗に成功。真弓も四球を選び、一、二塁のチャンスを作った。

    2番・弘田澄男はレフトフライに倒れたが、ここで2アウト一、二塁となり、打順はクリーンアップへ。

    打席には3番・ランディ・バース。

    ここから、プロ野球史に残る3連発が始まった。

    日刊スポーツや週刊ベースボールの当時の試合を振り返る記事でも、北村の盗塁がこの場面を作った重要なプレーとして紹介されている。

    単に3人の強打者がホームランを連続して打っただけではない。下位打線の出塁、代走の起用、盗塁、四球によって整えられた好機が、伝説の舞台になったのだ。

    【打順と順番を完全整理】バース・掛布・岡田の3連発

    バックスクリーン 3 連発
    【写真】バック スクリーン 3 連発 近影・注目カット

    3連発を記録したのは、当時の阪神が誇った強力クリーンアップだった。

    順番は、ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布。

    いずれも巨人の先発・槙原寛己から放った本塁打であり、3人が続けてバックスクリーン方向へ打球を運んだ。

    人物打順・守備位置本塁打の内容この場面での役割
    ランディ・バース3番・一塁手逆転3ラン2点差をひっくり返す主役
    掛布雅之4番・三塁手ソロホームラン逆転直後に追加点
    岡田彰布5番・二塁手ソロホームラン3連発を締めくくる一打
    槙原寛己巨人の投手3者連続本塁打を被弾伝説の対戦相手

    1人目:ランディ・バースの逆転3ラン

    バックスクリーン 3 連発
    【資料】バック スクリーン 3 連発 報道・メディア記録

    最初に歴史的な一打を放ったのは、3番のランディ・バース。

    一、二塁に走者を置いた場面で、槙原の投球を強振。打球は甲子園のバックスクリーンへ飛び込んだ。

    このホームランによって、阪神は1対3から4対3へ逆転。

    試合の流れを一瞬で変えた、3連発の起点となる一打だった。

    当時のバースはシーズン序盤の打撃不振に苦しんでいた。週刊ベースボールの回顧記事によると、この試合までの打撃成績は15打数2安打で、本塁打もまだ出ていなかった。

    しかし、その後のバースは驚異的な打撃を見せる。

    1985年シーズン終了時には打率.350、本塁打54本、打点134で三冠王に輝いた。

    2人目:掛布雅之が続いたソロホームラン

    バースの一発で甲子園が沸くなか、次の打者は4番・掛布雅之。

    掛布も槙原の投球をとらえ、バックスクリーンへソロホームランを放った。

    これでスコアは5対3。

    逆転した直後に追加点を奪ったことで、阪神の攻撃はさらに勢いづいた。

    掛布は1980年代の阪神を代表する主砲であり、勝負強い打撃でチームを支えていた選手だ。

    3人目:岡田彰布の豪快な一発

    そして5番・岡田彰布。

    3人目の打球もバックスクリーン方向へ飛び込んだ。

    これでスコアは6対3。阪神は7回裏だけで5点を奪った。

    槙原は3人連続の本塁打を浴び、阪神のクリーンアップが見せた圧倒的な破壊力を前にマウンドを降りることになった。

    後年、槙原はテレビ番組で当時の映像を見ながら、岡田の打球が特に強烈だったと振り返っている。

    3人の打球にはそれぞれ異なる特徴があり、岡田のライナー性の当たりも伝説を彩る印象的な場面として語り継がれている。

    【当時の真相】槙原寛己はなぜ3連発を浴びたのか?

    バックスクリーン3連発を語るうえで、避けて通れないのが槙原寛己の証言だ。

    槙原は当時、巨人の若手速球派投手として期待されていた。後に1994年5月18日の広島戦で完全試合を達成するなど、球史に残る実績を持つ投手でもある。

    しかし、1985年4月17日の阪神戦では、プロ野球史に残る3連続被弾を経験した。

    槙原本人が明かしたシュートの失敗

    2023年7月、テレビ朝日系の『しくじり先生 俺みたいになるな!!』に出演した槙原は、3連発の舞台裏を説明した。

    その証言によれば、当時の槙原は速球を主体とした投球を続けることに負担を感じ、シュートを覚えようとしていた。

    ところが、このシュートはほとんど練習していない球種だった。

    バースとの前の打席で、槙原は捕手のストレートのサインを無視してシュートを投げ、結果的にセカンドゴロの併殺打に打ち取った。

    この成功体験が次の失敗につながった。

    次のバースとの対戦でも、槙原はストレートのサインを無視してシュートを選択。今度は球が曲がらず、バースに逆転ホームランを浴びたという。

    その後の掛布には得意のストレートを打たれ、岡田との対戦ではパニック状態になって変化球を投じ、再び本塁打を許したと振り返っている。

    直球だったのか、シュートだったのか?

    ここには興味深い記録上の違いがある。

    阪神タイガース公式サイトのユニフォーム物語では、バースが槙原のストレートを狙い打ったと説明されている。

    一方、槙原本人の2023年の回想では、バースに対して未習熟のシュートを投げたことが最初の被弾につながったとされている。

    両者の記述は球種の説明が異なる。

    ただし、後年の本人証言では、捕手のサインを無視したことや、慣れていない球種への過信が失敗の原因として語られている。

    この証言によって、単なる打者の技術と投手の失投という構図だけでは見えなかった、当時の心理的な背景が明らかになった。

    槙原にとって忘れられない試合

    槙原は後年のテレビ出演で、3連発を浴びた際には気持ちが切れてしまい、その後の記憶もほとんど残っていないと振り返った。

    現役時代には、この出来事をあまり語りたくなかったという。

    しかし、槙原の野球人生はこの一戦だけで決まったわけではない。

    1994年には完全試合を達成し、巨人を代表する投手の一人として実績を残した。

    バックスクリーン3連発は、偉大な投手にも忘れられない敗戦があることを示す、野球の記憶の象徴でもある。

    【試合結果を再検証】阪神は6対5で勝利、実は最後まで接戦だった

    バックスクリーン3連発の映像だけを見ると、阪神が圧倒的な勢いで巨人を倒したように感じる。

    しかし、実際の試合は最後まで気の抜けない展開だった。

    7回裏の5得点によって、阪神は6対3とリードした。

    ところが9回表、巨人も反撃する。

    クロマティ、原辰徳が連続ホームランを放ち、阪神のリードはわずか1点に縮まった。

    中西清起がプロ初セーブを記録

    この場面でマウンドに上がったのが中西清起だった。

    福間納からバトンを受けた中西は、中畑清をレフトフライに打ち取ると、続く吉村禎章と駒田徳広を連続三振に仕留めた。

    巨人の反撃を止めた中西は、この試合でプロ初セーブを記録した。

    つまり、この試合にはバックスクリーン3連発だけでなく、最後のピンチを救った投手の活躍もあった。

    試合の場面出来事スコア
    1回表巨人が先制巨人2-0阪神
    1回裏阪神が1点を返す巨人2-1阪神
    7回表巨人が追加点巨人3-1阪神
    7回裏バースが逆転3ラン阪神4-3巨人
    7回裏掛布、岡田が連続ソロ阪神6-3巨人
    9回表クロマティ、原が連続本塁打阪神6-5巨人
    9回表中西が後続を抑える阪神6-5巨人

    最終結果は阪神の6対5。

    3連発だけで試合が終わったわけではなく、最後の守りまで含めて記憶すべき一戦だった。

    【1985年の阪神はなぜ強かった?】リーグ優勝と日本一への道

    1985年の阪神タイガースは、バックスクリーン3連発だけで語り尽くせるチームではない。

    監督は吉田義男。攻撃力の高さと選手層の厚さを武器に、長いシーズンを勝ち抜いた。

    阪神球団公式のチームヒストリーによると、1985年の成績は以下のとおり。

    - セ・リーグ順位:1位
    - 勝利:74
    - 敗北:49
    - 引き分け:7
    - 勝率:.602
    - リーグ優勝決定日:1985年10月16日
    - 日本シリーズ優勝決定日:1985年11月2日

    10月16日、21年ぶりのリーグ優勝

    阪神は1985年10月16日、神宮球場で行われたヤクルト戦で勝利し、21年ぶり3度目のセ・リーグ優勝を決めた。

    開幕から続くシーズンの戦いを制した瞬間だった。

    バース、掛布、岡田を中心とする強力打線は、他球団にとって大きな脅威となった。

    特にバースはシーズンを通して圧倒的な成績を残した。

    選手打率本塁打打点主な実績
    ランディ・バース.35054134三冠王・MVP
    岡田彰布.34235101打線の中軸
    真弓明信.3223484リードオフマンとしても活躍

    これらの数字は日本野球機構の1985年度セ・リーグ個人成績に記録されている。

    バックスクリーン3連発は、こうした強力打線の実力を象徴する場面だった。

    11月2日、阪神が初の日本一に輝く

    リーグ優勝後、阪神は日本シリーズで西武ライオンズと対戦した。

    当時の西武は黄金時代を築いていた強豪チーム。

    その西武を相手に、阪神はシリーズを4勝2敗で制した。

    1985年11月2日、阪神はリーグ分立後初の日本一に輝いた。

    バースの三冠王、掛布と岡田の長打力、そして投手陣の働きが結実したシーズンだった。

    2026年現在から見た1985年と2023年の関係

    ここで、現在の球団史を理解するうえで大切なポイントがある。

    1985年の日本一は、阪神にとって初めての日本シリーズ制覇だった。

    その後、長い年月を経て、2023年11月5日に阪神はオリックスを4勝3敗で破り、38年ぶり2度目の日本一を達成した。

    つまり、2026年時点では1985年と2023年が阪神の日本一を記録したシーズンとなっている。

    2023年の日本一は、1985年の歴史的な優勝から38年後に実現したものだ。

    1985年のバックスクリーン3連発は、単なる昔の名場面ではなく、後の世代にも受け継がれる阪神の球団史を象徴する出来事なのである。

    【2026年最新振り返り】バックスクリーン3連発の動画と現在の評価

    2026年になっても、バックスクリーン3連発は阪神の歴史を語る際に欠かせない名場面だ。

    球団公式サイトの90周年史でも、1985年の出来事として4月17日の3連発が記録されている。

    当時の映像はどこで紹介されている?

    この名場面は、過去の記念企画やテレビ番組でも繰り返し取り上げられてきた。

    阪神球団は2015年の球団創設80周年企画で、バース、掛布、岡田の3人を甲子園に招いた「LEGENDS DAY」を開催。

    30年前の伝説を振り返る特別映像を試合前に放映し、当時のスターティングメンバーやスコアも再現した。

    また、2023年にはテレビ朝日系の『しくじり先生』で槙原本人が当時の映像を見ながら舞台裏を解説している。

    動画を探す場合は、次の検索語が手掛かりになる。

    - バックスクリーン3連発 1985年4月17日
    - 阪神 バース 掛布 岡田 3連発 当時映像
    - 槙原寛己 バックスクリーン3連発 真相
    - 阪神タイガース LEGENDS DAY 2015

    ただし、記念イベントで放映された映像と、現在も常時視聴できる公式動画は別のものだ。配信状況は公式チャンネルや番組のアーカイブで確認する必要がある。

    2026年に改めて注目したい3つのポイント

    1. 3人の打順が生み出した連続攻撃

    3番、4番、5番というクリーンアップが続けて本塁打を放ったことに、伝説としての価値がある。単独のホームラン記録ではなく、打線全体の破壊力を象徴している。

    2. 3連発の前にあった北村照文の盗塁

    歴史的なホームランの陰には、代走・北村の盗塁があった。目立つ場面だけでなく、その前の走塁や選手起用にも目を向けると、試合の面白さが増す。

    3. 槙原の証言が明らかにした投手心理

    本人の回想によって、当時の配球や心理的な判断が改めて注目された。失敗を振り返る証言が、伝説の場面に別の角度から光を当てている。

    1985年当時の記録と、後年の選手本人による証言を併せて見ることで、バックスクリーン3連発の全体像がより鮮明になる。

    【プロの結論】バックスクリーン3連発が今も伝説であり続ける理由

    バックスクリーン3連発が特別なのは、3本のホームランが連続したという珍しさだけではない。

    そこには、阪神と巨人という長年のライバル関係、甲子園という舞台、強力なクリーンアップ、そして1985年という特別なシーズンが重なっている。

    さらに、試合の流れを振り返ると、伝説を生み出した要素は複数存在する。

    - 北村照文の盗塁がチャンスを広げた。
    - バースの本塁打が試合を逆転させた。
    - 掛布と岡田が連続して追加点を奪った。
    - 中西清起が9回のピンチを抑えた。
    - 阪神はその年、21年ぶりのリーグ優勝と初の日本一を達成した。

    特に重要なのは、3連発だけを切り取ると見えなくなる試合全体の流れだ。

    ホームランの華やかさと、そこに至るまでの地道なプレー、そして最後まで続いた接戦。このすべてがそろっているからこそ、40年以上にわたって語り継がれている。

    野球の歴史を知りたい人には、当時の映像だけでなく、試合前半の展開や槙原の後年の証言まで確認することをおすすめしたい。

    【バックスクリーン3連発】に関するよくある質問(FAQ)

    Q1:バックスクリーン3連発はいつ起きた?
    A1:1985年4月17日、阪神甲子園球場で開催された阪神対巨人戦の7回裏に起きた。バース、掛布、岡田が3者連続で本塁打を放った。

    Q2:バックスクリーン3連発の順番は?
    A2:3番ランディ・バース、4番掛布雅之、5番岡田彰布の順番。最初のバースが逆転3ラン、続く掛布と岡田がソロホームランを放った。

    Q3:槙原寛己はなぜ3連発を打たれた?
    A3:本人の後年の証言によると、ほとんど練習していなかったシュートを捕手のサインに反して投げたことが最初の被弾につながった。その後、掛布には直球、岡田には変化球を打たれたと説明している。

    Q4:バックスクリーン3連発の試合結果は?
    A4:阪神が6対5で巨人に勝利した。7回裏に5点を奪って逆転したが、9回表に巨人も連続本塁打で反撃。最後は中西清起が抑えた。

    Q5:バックスクリーン3連発の年に阪神は優勝した?
    A5:優勝した。1985年10月16日に21年ぶり3度目のセ・リーグ優勝を決め、11月2日には西武を破って球団初の日本一となった。

    Q6:2026年現在、阪神の日本一は何回?
    A6:日本野球機構の球団別記録では、1985年と2023年の2回。2023年にはオリックスを日本シリーズで破り、38年ぶり2度目の日本一を達成した。

    Q7:バックスクリーン3連発の映像は見られる?
    A7:阪神球団の記念企画やテレビ番組で当時の映像が紹介されている。2015年のLEGENDS DAYや、2023年の『しくじり先生』でも取り上げられた。現在の視聴可能な配信先は各公式チャンネルや番組アーカイブで確認できる。

    まとめ:1985年4月17日は阪神タイガースの歴史を変えた伝説の日

    バックスクリーン3連発は、1985年4月17日の阪神対巨人戦で生まれた、野球ファンなら知っておきたい歴史的な名場面だ。

    7回裏、1対3の劣勢からバースが逆転3ランを放ち、掛布、岡田が続けてソロホームランを記録。阪神は6対5で勝利した。

    その試合の背景には、北村照文の盗塁、槙原寛己の投球判断、そして中西清起のプロ初セーブという重要な出来事もあった。

    1985年の阪神は、その後21年ぶりのリーグ優勝を果たし、球団初の日本一を達成。さらに2023年には38年ぶり2度目の日本一を実現した。

    2026年に振り返っても、バックスクリーン3連発は単なる懐かしい映像ではない。

    選手の技術、試合の駆け引き、ライバルとの対決、そしてチームの栄光が凝縮された、阪神タイガースを象徴する歴史的な一日なのである。

    主な事実確認資料

    - 阪神タイガース公式「ユニフォーム物語」「タイガースヒストリー」
    - 日本野球機構「1985年度セントラル・リーグ年度別成績」
    - 日刊スポーツ「阪神が伝説のバックスクリーン3連発」
    - スポニチ・テレビ朝日POSTによる槙原寛己本人の回想
    - 日本野球機構「SMBC日本シリーズ2023」 (出典: バック スクリーン 3 連発(Yahoo!ニュース))

    斉藤 桃子 (Momoka Saito)
    斉藤 桃子 (Momoka Saito) カルチャーライター

    テクノロジーやライフスタイル領域を中心に執筆活動を行っています。趣味は写真撮影と旅行です。