小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の墓は、東京都豊島区南池袋にある都立・雑司ケ谷霊園にあります。墓所番号は、東京都公園協会が公開する2026年版の公式園内マップで確認できる「1種1号8側35番」です。池袋駅からも徒歩圏内にあり、東京メトロ有楽町線の東池袋駅や副都心線の雑司が谷駅からアクセスできます。
八雲が1904年9月26日に54歳で亡くなった後、なぜ雑司ヶ谷の共同墓地が埋葬先に選ばれたのでしょうか。その背景には、妻・小泉セツの判断と、八雲自身が生前に好んで歩いた雑司ヶ谷への愛着がありました。墓所の正確な場所、現地で迷わないための地図の見方、アクセス、墓碑の特徴、埋葬までの経緯を順番に紹介します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 墓の場所:東京都豊島区南池袋4-25-1の都立・雑司ケ谷霊園。
- 墓所番号:公式園内マップに記載された「1種1号8側35番」。
- アクセス:東池袋駅から徒歩約7分、雑司が谷駅から徒歩約8分。
- 埋葬の経緯:1904年9月26日の死去後、妻セツが八雲の愛した雑司ヶ谷の共同墓地を選んだ。
- 訪問時の注意:霊園全体の一律の開園時間と、管理事務所などの施設利用時間は区別して確認する。
【小泉八雲の墓はどこ?】雑司ヶ谷霊園の場所と正確な墓所番号
小泉八雲の墓があるのは、東京都豊島区南池袋に位置する都立・雑司ケ谷霊園です。池袋の繁華街から少し離れた住宅地にあり、ケヤキやイチョウなどの古木が残る、緑豊かな霊園として知られています。
東京都公園協会が公開している園内マップでは、小泉八雲の名前とともに、墓所番号が明記されています。
小泉八雲の墓所番号:1種1号8側35番
この番号は、墓所の区画を特定するための正式な表示です。単に「雑司ヶ谷霊園の小泉八雲の墓」と覚えるよりも、番号を控えておくほうが現地で探しやすくなります。
雑司ヶ谷霊園の基本情報
- 施設名:都立雑司ケ谷霊園
- 所在地:東京都豊島区南池袋4-25-1
- 郵便番号:〒171-0022
- 墓所番号:1種1号8側35番
- 管理事務所:雑司ケ谷霊園管理事務所
- 電話番号:03-3971-6868
- 開園年月日:1874年(明治7年)9月1日
霊園の面積は106,110平方メートル。東京都公園協会の施設案内によれば、夏目漱石や永井荷風、竹久夢二など、文学・芸術・学術の分野で活躍した人物も眠っています。
雑司ヶ谷霊園は単なる著名人の墓地ではありません。1874年に東京府が共同埋葬墓地として開設した歴史を持ち、2024年には開園150周年を迎えました。2026年現在も、明治期から続く東京の歴史を伝える場所です。
【公式地図で確認】小泉八雲の墓所番号「1種1号8側35番」の探し方
初めて雑司ヶ谷霊園を訪れる人にとって、最も確実なのは東京都公園協会が公開する公式園内マップを利用する方法です。
2026年4月現在の公式マップには、霊園全体の区画配置と著名人の墓所一覧が掲載されています。小泉八雲の項目には、ラフカディオ・ハーンという名前も併記されているため、外国名で探している人も確認できます。
地図で確認する際の3つのポイント
1. まず「1種1号」の区画を探す
墓所番号の最初にある「1種1号」は、大きな区画を示しています。園内マップで該当する区画を確認し、目的地のおおよその位置を把握しましょう。
2. 「8側35番」まで確認する
同じ区画の中には複数の墓所があります。1種1号という情報だけでは目的の墓を特定できません。必ず「8側35番」まで確認することが大切です。
3. 著名人一覧の小泉八雲の項目と照合する
公式マップの著名人一覧では、小泉八雲の名前の横に丸数字の案内番号も表示されています。この番号は著名人一覧と地図上の案内表示を対応させるためのものです。墓所番号そのものとは異なるため、混同しないようにしましょう。
また、東京都公園協会は2025年9月に「墓所ナビ」を公開しています。園内で目的の墓所を探す際には、こうした案内機能も活用できます。
現地では管理事務所で園内マップを確認する方法もあります。スマートフォンに墓所番号を保存しておけば、紙の地図と照らし合わせながら探せるため安心です。
【初めてでも迷わない】小泉八雲の墓へのアクセス・住所・開園時間
雑司ヶ谷霊園は池袋駅周辺からアクセスしやすい場所にあります。特に東池袋駅と雑司が谷駅は、徒歩で訪れる場合の便利な最寄り駅です。
東池袋駅からの行き方
東京メトロ有楽町線の東池袋駅からは、徒歩約7分です。
公式案内図では5番出口が最寄りの目印として示されています。駅を出たら南池袋方面へ進み、霊園の入口を目指します。池袋駅周辺から向かう場合にも利用しやすいルートです。
雑司が谷駅からの行き方
東京メトロ副都心線の雑司が谷駅からは、徒歩約8分です。
公式案内図では1番出口が目印です。駅から南池袋方面へ歩くと霊園に到着します。雑司が谷周辺の歴史的な街並みを楽しみながら訪れたい人にも適しています。
その他のアクセス方法
- 都電雑司ヶ谷停留場:徒歩約2分
- 池袋駅東口:徒歩約20分
- 東池袋駅:徒歩約7分
- 雑司が谷駅:徒歩約8分
いずれも東京都公園協会の公式交通案内に基づく所要時間です。実際の移動時間は、信号や入口の位置、園内で墓所を探す時間によって変わります。
雑司ヶ谷霊園の開園時間は何時から何時まで?
訪問前に気をつけたいのが、霊園そのものの利用と、管理事務所などの施設の利用時間の違いです。
東京都公園協会の2026年時点の案内では、次の時間が公表されています。
- 管理事務所窓口:8時30分~17時30分
- 書類受付:8時30分~16時30分
- 崇祖堂:9時~17時
- 駐車場:8時30分~17時
- 管理事務所・納骨堂の年末年始休業:12月29日~1月3日
なお、これらは各施設の利用時間です。公式案内には一般墓参者向けの霊園全体の一律の開園・閉園時刻は明記されていないため、管理事務所の営業時間をそのまま霊園の開園時間と考えないようにしてください。
車で訪れる場合は、駐車場の利用時間が17時までである点にも注意が必要です。お彼岸やお盆、休日には駐車場が混雑することもあるため、公共交通機関の利用が便利です。
【なぜ雑司ヶ谷に埋葬された?】小泉八雲の死去から墓所建立までの経緯
小泉八雲の墓を訪れるうえで、知っておきたいのが埋葬先が決まった経緯です。
八雲は1904年9月26日、54歳で亡くなりました。晩年には心臓の不調を経験しており、死因は狭心症とされています。亡くなる前には、自分が死んだ場合は静かな小さな寺に埋葬してほしいという希望を妻のセツに伝えていました。
ところが、実際に墓所を選ぶ段階では、八雲が望んだイメージと、東京で現実的に選べる埋葬先との間に違いがありました。
妻・小泉セツが雑司ヶ谷を選んだ理由
この経緯は、妻の小泉セツが残した回想録『思い出の記』に記されています。
2026年に小学館の雑誌『サライ』が掲載した歴史連載でも、この回想をもとに埋葬の経緯が紹介されています。
セツが選んだのは、八雲が生前から好んで散歩していた雑司ヶ谷の共同墓地でした。
その理由には、次のような事情がありました。
- 八雲が雑司ヶ谷周辺を好んで歩いていたこと。
- 静かで景色のよい場所だったこと。
- 寺院の墓地では将来的に移転する可能性があり、共同墓地のほうが安心できるとセツが考えたこと。
- 八雲が望んでいた静かな埋葬先という希望にも沿っていたこと。
特に注目したいのは、雑司ヶ谷がセツにとって単なる墓地の候補地ではなかった点です。八雲が家族とともに歩いた思い出の場所であり、本人の好みを知る妻だからこそ選べた場所でもありました。
1904年9月26日から9月30日までの経緯
- 1904年9月26日:小泉八雲が心臓発作により54歳で死去。
- 1904年9月30日:市谷富久町にゆかりのある自證院圓融寺(通称・瘤寺)で仏式の葬儀が営まれる。
- 葬儀後:妻セツが選んだ雑司ヶ谷の共同墓地に埋葬される。
小泉八雲記念館の公式年譜にも、9月26日の死去と9月30日の葬儀、雑司ヶ谷への埋葬が記録されています。
つまり、現在の墓所は単に東京にあった共同墓地という理由で選ばれたのではありません。八雲が生前から親しんでいた土地であり、妻セツが夫の希望を考えて選び取った場所だったのです。
【人物関係と生涯を整理】ラフカディオ・ハーンから小泉八雲へ
小泉八雲の墓を理解するには、彼がどのような人生を送り、どのような人々と関わったのかを知ることも欠かせません。
八雲はギリシャ生まれの作家で、本名はパトリック・ラフカディオ・ハーン。アイルランド人の父とギリシャ人の母を持ち、ヨーロッパとアメリカを経て日本に渡りました。
日本では松江、熊本、神戸、東京などで暮らし、英語教師や新聞記者、作家として活動しました。日本の民話や伝承、生活文化を海外に紹介した人物として知られています。
小泉八雲と関係者・場所の相関表
| 人物・場所 | 八雲との関係 | 主な事実 |
|---|---|---|
| ラフカディオ・ハーン | 本人の出生名 | 1850年にギリシャのレフカダ島で誕生。来日前はこの名前で活動。 |
| 小泉セツ | 妻 | 1896年に正式に結婚。八雲の死後、雑司ヶ谷の墓所を選んだ。 |
| 東京帝国大学 | 英文学講師として勤務 | 1896年から1903年まで教壇に立った。 |
| 早稲田大学 | 晩年の勤務先 | 1904年に講師として招聘され、同年3月から出勤。 |
| 自證院圓融寺 | 葬儀が営まれた場所 | 1904年9月30日に仏式の葬儀が行われた。 |
| 雑司ヶ谷霊園 | 埋葬地 | 1種1号8側35番に墓所がある。 |
小泉八雲の主な生涯と代表作
- 1850年:ギリシャのレフカダ島に誕生。
- 1869年:アメリカへ渡り、新聞記者として文筆活動を始める。
- 1890年:日本に到着。松江で英語教師として働く。
- 1891年:小泉セツとの生活が始まる。
- 1896年:日本に帰化し、小泉八雲と改名。東京帝国大学の講師となる。
- 1903年:東京帝国大学を退職。
- 1904年:早稲田大学で教え始める。同年9月26日に死去。
代表作として知られるのは『怪談』『骨董』『心』『知られぬ日本の面影』などです。なかでも『怪談』は、日本の民話や伝承を海外に伝えた作品として現在も読み継がれています。
八雲の生涯を振り返ると、国籍や居住地を越えて異なる文化を理解しようとした姿勢が浮かび上がります。雑司ヶ谷の墓所は、日本に帰化し、日本文化を世界へ伝えた彼の人生の終着点でもあります。
【墓碑を訪れる前に】小泉八雲の墓の見どころと参拝マナー
小泉八雲の墓所は、東京都内で文学や歴史に触れられる場所の一つです。墓碑を訪れる際には、墓石そのものだけでなく、そこに刻まれた人物の生涯や、埋葬に至るまでの背景にも目を向けたいところです。
墓碑を探す際に確認したいこと
最も重要なのは、墓碑の外観だけで判断せず、公式の墓所番号と照合することです。
小泉八雲の墓は「1種1号8側35番」。この番号を基準に探せば、同じ霊園内にある別の著名人の墓と混同する可能性を減らせます。
墓碑の文字や法名などに関心がある人は、現地で確認しながら、八雲の生涯や小泉家の歴史と結び付けて考えると、訪問の意味がより深まります。
雑司ヶ谷霊園で守りたい参拝マナー
- 墓所は故人を慰霊する場所であることを忘れない。
- 墓石や供花、周辺の墓所に無断で触れない。
- 写真撮影は周囲の参拝者や墓所の管理に配慮する。
- 供えた花や持ち込んだごみは、霊園の案内に従って適切に処理する。
- 大声での会話や通路をふさぐ行為を避ける。
東京都公園協会と豊島区も、霊園は故人の慰霊の場所であり、散策時には節度ある行動をするよう呼びかけています。
著名人の墓所を巡ること自体は、歴史や文学への理解を深める機会になります。ただし、観光地の記念撮影とは異なる場所であることを意識し、静かな環境を保つことが大切です。
【小泉八雲の墓】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:小泉八雲の墓はどこにありますか?
A1:東京都豊島区南池袋4-25-1にある都立・雑司ケ谷霊園です。墓所番号は「1種1号8側35番」です。
Q2:小泉八雲の墓へ行くには、どの駅が便利ですか?
A2:東京メトロ有楽町線の東池袋駅が便利で、徒歩約7分です。副都心線の雑司が谷駅からも徒歩約8分で到着できます。いずれも東京都公園協会の公式案内に記載された所要時間です。
Q3:小泉八雲はなぜ雑司ヶ谷霊園に埋葬されたのですか?
A3:妻の小泉セツが、八雲が生前から好んで散歩していた雑司ヶ谷の共同墓地を選んだからです。静かで景色がよく、夫の希望にも合う場所だったことが背景にあります。
Q4:小泉八雲はいつ亡くなりましたか?
A4:1904年9月26日です。心臓発作による狭心症で54歳の生涯を閉じました。葬儀は同月30日に営まれました。
Q5:雑司ヶ谷霊園の開園時間は何時ですか?
A5:管理事務所は8時30分~17時30分、駐車場は8時30分~17時、崇祖堂は9時~17時です。これらは施設ごとの利用時間であり、霊園全体の一律の開園時間とは異なります。訪問前に東京都公園協会の最新案内を確認してください。
Q6:小泉八雲の本名は何ですか?
A6:パトリック・ラフカディオ・ハーンです。1896年に日本へ帰化した際、小泉八雲と改名しました。
まとめ:小泉八雲の墓を訪れるなら公式マップと生涯の背景を確認
小泉八雲の墓は、東京都豊島区南池袋の雑司ヶ谷霊園にあります。公式園内マップで確認できる墓所番号は「1種1号8側35番」。東池袋駅から徒歩約7分、雑司が谷駅から徒歩約8分と、公共交通機関で訪れやすい場所です。
八雲が1904年9月26日に亡くなった後、妻セツは夫が生前から愛着を持っていた雑司ヶ谷の共同墓地を埋葬先に選びました。その選択には、静かな環境を望んだ八雲の意向と、夫が好んだ場所で安らかに眠ってほしいという妻の思いが重なっています。
墓参を予定している人は、事前に公式園内マップを確認し、墓所番号を控えておくと安心です。管理事務所や駐車場の利用時間も確認し、余裕を持った日程で訪れましょう。
『怪談』をはじめとする作品を通して日本の文化や精神を世界へ伝えた小泉八雲。その墓所を訪れることは、彼の人生と、日本で築いた家族との歴史を改めて知る機会にもなります。
墓石の前に立ったとき、単に著名人の墓を訪れたというだけではなく、異国から日本へ渡り、この国を深く愛した一人の作家の足跡を感じられるはずです。
(出典: 小泉 八雲 墓(Yahoo!ニュース))