大相撲の土俵において、その類まれな美貌と熱い取り口で昭和から平成にかけて多くのファンを魅了し続けた元関脇・寺尾常史(錣山親方)。現役時代は「土俵の鉄人」や「アビ」の愛称で親しまれ、軽量ながらも猛烈な突っ張りや激しい攻めで大相撲界に独自の足跡を残しました。引退後も錣山部屋の師匠として多くの弟子を育て、独自の相撲道を貫いたその生き様は、今なお多くの人々の記憶に深く刻まれています。
本記事では、公式百科事典や『婦人公論』での妻による貴重なインタビュー証言などを基に、寺尾常史の現役時代の圧倒的な強さの秘密、心臓病という過酷な試練と闘い続けた知られざるエピソード、そしてお別れの会に至るまでの足跡を徹底的に紐解いていきます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:「土俵の鉄人」と呼ばれた寺尾常史は、筋肉質のソップ体型と圧倒的な突っ張り・押し相撲でファンを魅了した。
- 要点2:現役時代から抱えていた心臓病の裏で、体重を増やすための過酷な食事管理や過剰な身体的負担があったことが妻の証言で明かされた。
- 要点3:引退後は錣山部屋を創設し師匠として後進を育成、2023年の急逝後もその情熱や薫陶は関係者やファンの心に生き続けている。
「土俵の鉄人」寺尾常史のプロフィールと輝かしいキャリア
寺尾 常史(てらお つねふみ)は、1963年(昭和38年)2月2日に鹿児島県姶良郡加治木町(現在の姶良市)で生まれました(出生地は東京都墨田区)。井筒部屋に所属し、本名は福薗 好文(ふくぞの よしふみ)。大相撲の歴史において、力士としては稀な甘いマスクと、無駄な脂肪のない筋肉質のソップ体型を誇り、女性ファンからの絶大な支持を集めたことでも知られています。
土俵での得意技は、持ち味を最大限に活かした「突っ張り」「押し」に加え、「いなし」「叩き」「下手投げ」など多彩な技でした。巨漢力士が全盛を極める土俵において、体をフルに使った高速の突っ張りで大型力士を翻弄する姿は、まさに「土俵の鉄人」の異名にふさわしいものでした。最高位は東関脇にまで上り詰め、長きにわたって幕内の第一線で活躍し続けました。
錣山部屋の創設と、弟子たちに注いだ情熱
現役引退後は年寄・錣山(しころやま)を襲名し、井筒部屋の部屋付き親方を経て分家独立。自身の名称を冠した「錣山部屋」を創設しました。師匠としては、型にはまった指導にとどまらず、個々の自主性を尊重しながらも熱心な指導を行い、角界に新風を吹き込みました。
角界での愛称である「アビ」の由来など、親しみやすいキャラクターでも愛され、現役時代からのファンのみならず、多くの相撲関係者から厚い信頼を寄せられていました。趣味であるパチンコや音楽鑑賞、ゴルフなどを通じて培った広い視野や人柄は、部屋の運営や若手力士の育成にも大いに活かされていたといいます。
| 項目 | 詳細 | 公式発表・主な実績 |
|---|---|---|
| 四股名・本名 | 寺尾 常史 / 福薗 好文 | 井筒部屋所属 |
| 生年月日・出身地 | 1963年2月2日 / 鹿児島県(出生地:東京都) | 最高位:東関脇 |
| 主な得意技 | 突っ張り、押し、いなし、叩き、下手投げ | ソップ体型を活かした高速の攻め |
| 引退後 | 錣山親方として独立 | 錣山部屋を創設し師匠として後進を育成 |
妻が明かした心臓病との過酷な闘いと現役時代の裏側
『婦人公論』2024年6号に掲載された妻のインタビューでは、生前の錣山親方が抱えていた心臓病との知られざる戦いや、現役時代に身体にかかっていた想像を絶する負担について詳細に語られています。
錣山は若い頃から心臓に持病を抱えていました。本場所が始まると、普段は114kgほどだった体重を無理やり120kgから122kgまで増量するため、毎日午前3時から4時に起きてサンドイッチを食べるという過酷な食生活を自らに課していました。そして場所が終わると、心臓への負担を考慮して平常体重に戻すというサイクルを繰り返していました。妻は、こうした現役時代の過酷な生活習慣や力士としての無理が、心臓に大きな悪影響を及ぼしていたと分析しています。
最期の入院生活と語られたエピソードの真相
晩年の心臓治療においては、世界の名医たちが手術にあたるほどの状況でした。しかし、最後の入院時にはかかりつけの病院とは別の病院へ搬送されることとなり、そこから40日間もの間意識不明の状態が続きました。奇跡的に意識が戻った際、本人は「三途の川が見えた」と語り、その過酷な苦しみを妻に明かしていたといいます。
高度治療室と通常の個室を往復する過酷な入院生活の末、最後は個室に面会に訪れた妻に対して「また明日ね」と明るく手を振りました。しかし、そのわずか2時間後に心停止を迎えるという、あまりにも突然の別れとなりました。
告別式に参列した約400人の関係者と遺された想い
2023年12月17日に惜しまれつつも世を去った寺尾常史。同年12月22日に通夜が、翌23日に告別式がそれぞれ営まれました。戒名は「錣山院優好豊瑛居士(てつざんいんゆうこうほうえいこじ)」と授けられています。
告別式には、芝田山(第62代横綱大乃国)、陸奥(元大関霧島)、高田川(元関脇安芸乃島)、浅香山(元大関魁皇)、藤島(元大関武双山)、鶴竜(第71代横綱)ら多くの親方衆をはじめ、大関霧島、関脇琴ノ若、前頭阿武咲といった現役力士が参列しました。さらに、生前に親交の深かった高田延彦・向井亜紀夫妻や、RIZIN代表取締役の榊原信行氏など、各界から約400人が駆けつけ、故人の早すぎる死を惜しみ、最後の別れを告げました。
【寺尾常史】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:寺尾常史の最高位や現役時代の代名詞は何ですか?
A1:最高位は東関脇です。甘いマスクと筋肉質なソップ体型、そして鋭い突っ張り・押し相撲を持ち味とし、「土俵の鉄人」や「アビ」の愛称で広く親しまれました。
Q2:引退後の活動や指導者としての実績はどうでしたか?
A2:現役引退後は年寄・錣山となり、井筒部屋部屋付き親方を経て分家独立し「錣山部屋」を創設。師匠として独自の指導法で多くの弟子を育成しました。
Q3:心臓病や晩年のエピソードについてどのようなことが明かされていますか?
A3:『婦人公論』の妻のインタビューにより、若い頃からの心臓の持病を抱えながら、場所前の深夜の食事による体重増加など現役時代の過酷な自己管理が心臓に負担をかけていたこと、また晩年の入院生活や最期の様子が詳細に語られています。
まとめ:土俵に生き、愛され続けた錣山親方の足跡
寺尾常史こと錣山親方は、昭和から平成、そして令和へと移り変わる大相撲の歴史の中で、常にファンを沸かせるファイトスタイルを貫き通しました。その裏にあった心臓病との過酷な闘いや、現役時代から晩年に至るまでの並みならぬ努力は、家族や関係者の証言によって初めてその深い真実が明らかになりました。
土俵で見せた圧倒的な気迫と、周囲の人々に愛された人柄、そして錣山部屋で育まれた魂は、今なお角界やファンの心の中で色褪せることなく生き続けています。 (出典: 寺尾 常 史(Yahoo!ニュース))